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河村秀根 かわむら ひでね

デジタル大辞泉の解説

かわむら‐ひでね〔かはむら‐〕【河村秀根】

[1723~1792]江戸中期の国学者。尾張の人。通称は復太郎。歌学を学び、また、神道・故実を主に古典を研究した。著「日本書紀集解」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河村秀根 かわむら-ひでね

1723-1792 江戸時代中期の国学者。
享保(きょうほう)8年10月12日生まれ。河村秀世の子。尾張(おわり)名古屋藩主徳川宗春につかえる。多田南嶺,速水房常らにまなび,「日本書紀」を研究。次男益根の協力をえて「書紀集解(しゅうげ)」をあらわし,家学の紀典学をきずいた。寛政4年6月24日死去。70歳。尾張(愛知県)出身。字(あざな)は君律。通称は復太郎。号は葎庵。著作はほかに「延喜式集解」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

河村秀根

没年:寛政4.6.24(1792.8.11)
生年:享保8.10.12(1723.11.9)
江戸中期の国学者。尾張(名古屋)藩士。字は君律。通称金之助。号は葎庵。父は吉見幸和の門人で冷泉為村に和歌を学んだ河村秀世,兄は秀穎。11歳のとき藩主徳川宗春の子国丸の小姓となり,国丸の死後宗春に仕えるが,その死により明和2(1765)年致仕した。初め俵秀辰に吉田神道を学んだが,寛保3(1743)年に福本八十彦,多田南嶺に,翌年には吉見幸和に入門して神道,古典,有職故実を学び,主として本朝の紀伝を研究した。河村家の学を紀典学といい,秀根が主張,子の益根によって完成された。門を閉ざして来客にも面会せずに研究に専心した。『日本書紀』の注釈書『書紀集解』は,中国の内典外典を博捜して典拠と覚しきものを求めることに努め,河村家家学の代表作というにとどまらず,今日においても書紀注釈の最高峰である。<参考文献>岡田稔「河村秀根の紀典学について」(『国漢』43号),阿部秋生『河村秀根』

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

かわむらひでね【河村秀根】

1723‐92(享保8‐寛政4)
江戸中期の国学者。秀世の子で,尾張藩士。字は君律,号は葎庵。藩主徳川宗春に出仕のかたわら,兄秀穎(ひでかい)とともに神道・国学を学び,《日本書紀》などの古典を研究,また稲葉通邦らと律令講読会を組織。代表的著書《書紀集解(しつかい)》は秀穎と子益根(ますね)の協力により,没後に完成。ほかに《続日本紀集解》以下の六国史の注釈,《神祇令集解》などがある。【早川 庄八】

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大辞林 第三版の解説

かわむらひでね【河村秀根】

1723~1792) 江戸中期の国学者。通称、復太郎。号は葎庵。尾張藩士。冷泉為村に歌学を学ぶ。また、神道・故実を主に古典研究に専念、紀典学と称す。主著「書紀集解」「続紀集解」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

河村秀根
かわむらひでね

[生]享保8(1723)
[没]寛政4(1792)
江戸時代中期の国学者。徳川宗春に仕え,古典の注釈に専心。著書『書紀集解』『古事記集解』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

河村秀根
かわむらひでね
(1723―1792)

江戸中期の国学者。尾張(おわり)藩士河村秀世(1695―1771)の次男。字(あざな)は君律(きみのり)。葎庵(りつあん)と号す。多田義俊(ただよしとし)(1698―1750)、吉見幸和(よしみよしかず)に学び、六国史(りっこくし)を研究する。主著『書紀集解(しゅうげ)』(1785?~1806?刊)30巻20冊は、江戸時代の書紀研究の最高峰の一つで、次男益根(ますね)(1756―1819)が遺志を継いで完成した(刊本には、早世した長男殷根(しげね)(1749―1768)の名も考訂者として加えられている)。1777年(安永6)謀反を企てていると幕府に虚偽の訴状を出した者がおり、益根とともに捕らえられて江戸に送られる。翌1778年疑いが晴れ、名古屋に帰る。寛政(かんせい)4年6月24日没。70歳。墓は名古屋市東区平和公園の法輪寺墓地に現存。稿本・蔵書などは名古屋市立鶴舞(つるまい)中央図書館に所蔵。河村益根は儒学者として成功し、故実・制度に関する多くの業績を残す。号乾堂。秀根の兄秀穎(ひでかい)(1718―1783)も国学者。[梅谷文夫]
『『書紀集解』全4巻(1936~1940・国民精神文化研究所/復刻版・1969・臨川書店) ▽阿部秋生著『河村秀根』(1942・三省堂/増訂復刻版・2002・同書増訂復刻版刊行会)』

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367日誕生日大事典の解説

河村秀根 (かわむらひでね)

生年月日:1723年10月12日
江戸時代中期の国学者
1792年没

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世界大百科事典内の河村秀根の言及

【書紀集解】より

…《日本書紀》の江戸時代における代表的注釈書の一つ。尾張藩士の河村秀根(ひでね)とその2子,殷根(しげね),益根(ますね)の共著。1785年(天明5)から約20年かかって刊行。…

【律令法】より

…降って室町時代に一条兼良は《令抄》を著したが,これも古来の注釈を摘記したものにすぎない。ついで江戸時代に入ると漢学者,国学者の双方による律令研究が盛行し,注釈書を残した者に壺井義知(つぼいよしちか)(1657‐1735),荷田春満(かだのあずままろ),稲葉通邦(いなばみちくに)(1744‐1801),河村秀穎(ひでかい),河村秀根(ひでね),薗田守良(そのだもりよし)(1785‐1840),近藤芳樹などがあるが,依然として研究の中心は解釈学におかれていた。 しかし近代史学の発達とともに,律令の研究はその解釈にとどまらず,多方面にわたって深化した。…

※「河村秀根」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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