20世紀日本人名事典 「山口宏沢」の解説
山口 宏沢
ヤマグチ コウタク
- 生年
- 明治3年5月17日(1870年)
- 没年
- 昭和3(1928)年1月5日
- 出生地
- 大隅国姶良郡重富村(鹿児島県)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大文科〔明治32年〕卒
- 経歴
- 薩摩藩島津家の御典医・山口祐清(一斎)の子に生まれるが、明治10年西南戦争の際に父は大義名分を主張して西郷方に斬られる。幼少より困苦を嘗め、のち島津家の家庭教師となり、29年上京、32年東京帝大を卒業する。ついで東亜同文会幹事となり、近衛篤麿の知遇を得た。33年南京同文書院の設立に関わる。42年ブラジルに土地を借りて移民を送る道を開き、海外興業会社設立の基礎を固めた。大正6年頃より天理教に入信、以来専ら著述に従事し、その著「修理固成の天詔」は特に有名。ほかの著書に「博士長谷川芳之助」「日本建国の精神」「神言通義」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報