20世紀日本人名事典 「山口玄洞」の解説 山口 玄洞ヤマグチ ゲンドウ 明治〜昭和期の実業家 貴院議員。 生年文久3年10月10日(1863年) 没年昭和12(1937)年1月9日 出生地備後国尾道(広島県) 経歴代々尾道で医を業とする家に生まれたが、父親の死によって家運が傾き、大阪に出て店員となる。21歳のとき主家の破産に遭遇、独立して洋反物のブローカーを開業した。粉骨砕身して精励した結果、商運が開け巨万の富を得て、のち合資会社山口綿花商店を創立して屈指の綿花商となった。大阪府多額納税者の互選により貴院議員にも当選したほか、三十四銀行、共同火災海上保険、大阪モスリン、尼ケ崎紡績などの重役を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口玄洞」の解説 山口玄洞 やまぐち-げんどう 1863-1937 明治-昭和時代前期の実業家。文久3年10月10日生まれ。大阪で山口綿花商店を創立する。三十四銀行重役などをつとめ,明治37年貴族院議員。公益事業にもつくす。茶道を趣味とし,表千家の後援者として知られる。昭和12年1月9日死去。75歳。備後(びんご)(広島県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by