山喜多二郎太(読み)ヤマキタ ジロウタ

20世紀日本人名事典 「山喜多二郎太」の解説

山喜多 二郎太
ヤマキタ ジロウタ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治30(1897)年1月5日

没年
昭和40(1965)年5月24日

出生地
福岡県直方市

学歴〔年〕
東京美術学校〔大正9年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝展特選(第15回)〔昭和9年〕「二人の女」

経歴
藤島武二教室に学び、日本画寺崎広業にも師事。大正9年帝展入選以来、帝展、文展に出品、また辻永らの光風会に参加、昭和9年会員。戦後日展に出品。33年社団法人日展が発足し、評議員。晩年は水墨画にひかれ、尾張妙興寺本堂の天井油彩「蟠童」を描いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山喜多二郎太」の解説

山喜多二郎太 やまきた-じろうた

1897-1965 大正-昭和時代の画家
明治30年1月5日生まれ。洋画を藤島武二に,日本画を寺崎広業にまなぶ。昭和9年「二人の女」が帝展特選。光風会会員。戦後は日展に出品,評議員をつとめた。昭和40年5月24日死去。68歳。福岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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