山国荘(読み)やまぐにのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山国荘」の意味・わかりやすい解説

山国荘
やまぐにのしょう

丹波(たんば)国桑田郡のうち、現在の京都市右京区京北(けいほく)地区を中心とし、滋賀県境の京都市左京区広河原に至る地域。山国荘は初め山国杣(そま)といい、794年(延暦13)の平安遷都に際し、大堰(おおい)川を利用して造営材木を搬出するため36人の官人が配置されたことが、荘の発端である。10世紀末に東大寺僧朝南(ちょうなん)の建立する寺院荘園となったが、平安時代末期以降、1587年(天正15)の太閤(たいこう)検地まで修理職(しゅりしき)領となっている。荘民は大杣方と棚見方とに分かれ、材木などの年貢を納入した。荘の鎮守である山国五社明神の宮座は大杣方、棚見方の名主(みょうしゅ)で構成された。宮座構成員は広大な入会山(いりあいやま)の用益権や大堰川の鮎(あゆ)漁業権をもち、名主の後裔(こうえい)はこれらの特権を明治維新まで保持した。

仲村 研]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山国荘の言及

【山国杣】より

…現在の京都府下の大堰(おおい)川上流に位置し,北桑田郡京北町山国・黒田地区から京都市左京区花背・広河原地区を含む広大な山林を指す。1587年(天正15)のこの地方の太閤検地直前に,前田玄以に提出した郷士名主家の由緒書《山国庄三十六名八十八家田畑配分幷官位次第》によると,平安遷都にさいして〈御杣御料〉とされたことを山国荘の起源としている。律令国家は山国杣に省衛府諸寮官人16人を配置し,のち禁裏重代の仕官20人が増員され,この36人が52人の子家を分出し,計88人が〈五三寸三尋荒木(ごさんずんみひろあらぎ)〉と称される材木を国家に貢納したという。…

※「山国荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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