日本歴史地名大系 「山家館跡」の解説 山家館跡やんべたてあと 山形県:山形市旧東村山郡地区植野村山家館跡[現在地名]山形市高原町山家楯とも書き、高原(たかはら)城ともいう。奥羽山脈が山形盆地に張出した丘陵中の高原山(二三四メートル)、通称野伏(のぶせ)山に築かれた連郭式の中世の山城。規模は六〇間四方で、南面して内城があり、首洗(くびあらい)清水などが現存しているが、遺構はほとんど残っていない。山形城を守るいわゆる最上四十八館の一つ。南北朝時代に南朝方の山家信彦が居館したと伝える。山家氏は現天童市の山元(やまもと)(もと山家村)から現山形市の山家までの奥羽山脈の西山麓一帯(山本庄)を支配していたとされる。延文元年(一三五六)北朝方斯波兼頼が山形に入部したとき同氏に抵抗したが、のち足利幕府に臣従した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by