山形 雄策(読み)ヤマガタ ユウサク

20世紀日本人名事典 「山形 雄策」の解説

山形 雄策
ヤマガタ ユウサク

昭和期のシナリオライター



生年
明治41(1908)年3月13日

没年
平成3(1991)年8月3日

出生地
東京

本名
町田 敬一郎

学歴〔年〕
早稲田大学英文科中退

主な受賞名〔年〕
年間代表シナリオ〔昭和25年 27年 31年 35年〕

経歴
昭和14年島津保次郎主宰のシナリオ塾に入り、16年東宝文芸科に入社。23年東宝争議のレッドパージで山本薩夫監督らとともに退社。以後フリーとなり、数多くの独立プロ作品のシナリオを執筆。戦前は主に島津保次郎監督の、戦後は山本薩夫監督のシナリオを担当している。代表作に「民衆の敵」「暴力の街」「真空地帯」「台風騒動記」「武器なき闘い」「松川事件」「母さんの樹」などがある。著書に「山本薩夫演出の周辺」「井原西鶴」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山形 雄策」の解説

山形雄策 やまがた-ゆうさく

1908-1991 昭和時代脚本家
明治41年3月13日生まれ。島津保次郎主宰のシナリオ塾にまなぶ。昭和15年東宝にはいり,島津監督作品を手がける。23年の東宝争議後はフリーとなり,山本薩夫監督「暴力の街」「真空地帯」などのシナリオをかいた。平成3年8月3日死去。83歳。東京出身。早大中退。本名は町田敬一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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