日本大百科全書(ニッポニカ)「暴力」の解説
暴力
ぼうりょく
violence
一般に、政治の世界においては、正当性と合法性を欠いた物理的強制力を暴力と称している。これに対して、正当性と合法性をもった物理的強制力は実力forceといわれるが、直接的で物理的な力の行使という点において、暴力も実力も実質は同じである。したがって、政治の世界では、正当かつ合法的に物理的強制力が行使されたとしても、それ自身の自己運動によって拡大し、適正な限界を越えて暴力に転化することもしばしばみられるのである。
ある個人や集団が他の個人や集団の行動に影響を及ぼすための手段として、暴力は一時的にはもっとも有効な手段のように考えられるが、対象となる個人や集団に身体的苦痛を与えたり、自由や生命さえも奪うことがあるために、それら個人や集団から継続的に自発的な服従を確保することがむずかしい。「鉄砲の玉(ブレツト)よりは投票用紙(バロツト)のほうがいい」といわれるように、暴力はコストが高くつくわりには、相対的に高い効果を確保できないのが一般的である。
[谷藤悦史]
国家と暴力
すべての国家は、体制を維持するための究極的手段(ウルテイマラテイオ)ultima ratioとして、軍隊、警察などの暴力装置を有している。暴力装置をまったく欠いたままで、特定の体制を継続的に維持することは不可能だからである。また、マックス・ウェーバーが、国家の特質を「物理的強制力の正当な行使を独占している」点に求めたように、近代国家では、物理的強制力の行使は政府にだけ認められ、他の制度や個人は国家が承認する限りにおいてのみその行使が認められる。暴力的装置の独占的所有と行使は、近代国家の特質なのである。こうした点から、国家権力それ自体が暴力であるという見方も成立する。また、政治体制の内部においては、国家による物理的な強制力の行使を正当で合法的であると考えない反体制集団が存在していたり、正当性や合法性の主張も特定の集団の特権的支配を隠蔽(いんぺい)するための口実であったりする場合があるため、物理的強制力はつねに暴力という性質をもたざるをえないのである。
[谷藤悦史]
現代政治と暴力
歴史的に、暴力が典型的に出現する政治現象は、革命と戦争であったが、現代政治においてもそれらの現象と無縁ではありえない。平和研究の始祖の一人であるノルウェーの社会学者ガルトゥングは、戦争、テロ、リンチなどを直接的暴力、貧困、抑圧、人種差別などを構造的暴力とし、直接的暴力からの解放と構造的暴力からの解放こそが真の平和であると述べる。それら暴力からの解放を暴力という手段を全面的に発動させることなく達成するということが、現代政治に課せられた最大の課題である。
[谷藤悦史]