1950年の朝鮮戦争勃発前後の時期に,アメリカ占領軍の指示と支援のもとで,政府や企業が実施した日本共産党員とその支持者に対する一方的解雇のこと。1949年には行政機関職員定員法による〈行政整理〉や民間産業の〈首切り・合理化〉による〈企業整備〉が下山事件,三鷹事件,松川事件などが相つぐなかで強行されたが,この間,約3万人の事実上のレッドパージが行われた。また49年から50年にかけて総司令部民間情報教育局顧問イールズが全国を回り〈赤色教員追放〉を演説し(イールズ声明),小・中・高校の教職員約2000人が解雇された。ただし,大学では学生を中心とする反対闘争によって,一部を除きレッドパージは阻止された。50年5月3日,占領軍最高司令官マッカーサーは共産党を非難する声明を行い,6月6日には吉田茂首相に書簡を送り共産党中央委員24名(うち国会議員7名)の公職追放を指令,翌7日にも同党中央機関紙《アカハタ》編集委員17名を公職追放した。この指令には,占領当初の軍国主義者の公職追放措置が適用された。6月25日に朝鮮戦争が勃発すると,翌日に《アカハタ》停刊が指令され,さらに7月24日に総司令部民政局が新聞社代表に指示して,28日から新聞・通信・放送関係でレッドパージが始まり,8月5日までに50社で704人が解雇された。次いで8月26日には電気産業で2137人が解雇されたが,電産労組の反共民同派が組合員再登録の特別指令を出して,共産党員を組合から排除することと会社のレッドパージが同時に進行した。さらに9月から10月にかけて,映画,日通,石炭,私鉄,造船,鉄鋼,化学,機器など全産業に広がった。また9月1日,〈共産主義者等の公職からの排除に関する件〉が閣議決定され,国鉄,電通,農林,郵政,通産などの政府機関でも強行された。さらに日本経営者団体連盟は10月2日,〈赤色分子排除処理要綱〉を各企業経営者に提示した。こうして,民間企業のレッドパージは537社で1万0972人(労働省調べ,1950年12月10日現在),政府機関では1171人(人事院調べ,1950年11月15日現在)となった。このレッドパージは,朝鮮戦争の基地としての日本の治安維持の必要から占領軍権力により超憲法的に実施されたが,当時,共産党は分裂状態にあり有効な反対闘争を組織できず,労働組合から排除されて労働運動への影響力を決定的に弱め,産別会議も指導力を失い弱体化させられた。
→マッカーシイズム
執筆者:梅田 欽治
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赤色追放。共産党員やその支持者またはそれとみなされた者が、その思想信条や政治的立場を理由に、公職や企業から不当に解雇・追放されること。1950年代アメリカのマッカーシズムによる赤狩りや日本で行われた共産党員とその支持者の追放がおもな例。
朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)の直前である1950年5月、マッカーサーは共産党を法の保護外に置くことを示唆し、6月6日には日本共産党中央委員会全員24名、『アカハタ』編集幹部17名の公職追放を命じ、いっさいの集会・デモを禁止した。朝鮮戦争開戦とともに公職追放の範囲は、新聞・放送関係、電気・運輸などの重要産業部門のすべてに拡大し、9月1日の政府決定によって政府機関や公共部門にまで及んだ。追放指名者は占領軍の示唆や口頭指示を口実に政府と経営者の手で決定され、解雇された労働者は米軍の憲兵や武装警官隊によって実力で職場から排除された。このようにして、不当に解雇・追放された者は、公務員関係1177人、民間産業1万0972人に上る。このとき、裁判所は、占領軍の命令を憲法に優先するものとして身分保全の申請を却下し、労働委員会も審問拒否の態度をとった。共産党は内部分裂と混乱のために有効に対処しえず、社会党や大多数の労働組合もこの不当解雇を傍観した。さらに、一部の右翼的組合幹部は当局や経営者に積極的に協力し、日本の労働運動は大きな打撃を被った。
[五十嵐仁]
『塩田庄兵衛著『レッドパージ』(新日本新書・新日本出版社)』▽『梶谷善久編『レッドパージ』(1980・図書出版社)』
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共産党員とその同調者を公職や企業から追放すること。1950年(昭和25)5月のマッカーサー声明,6月の共産党幹部の追放,7月の共産党機関紙「アカハタ」停刊命令など,占領軍による共産党排除政策などで明確になった。7月末からはマスコミ関連会社での共産党員排除が始まり,ほかの民間主要企業,公務員にも拡大。年末までに1万数千人が職場から排除された。この結果,労働組合での共産党系の影響力は弱まった。
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…総司令部は同29日〈新聞・映画・通信に対する一切の制限法令を撤廃の件〉を指令し,戦争中のいっさいの法令を廃止させたので,以後6年半にわたる占領期間中を通じてこのプレス・コードとラジオ・コードが日本のマス・メディアを支配したほとんど唯一の言論統制法規であった。実際にプレス・コード違反として軍事裁判で有罪とされたのは,48年の《日刊スポーツ》事件,49年の《連合通信》事件,《大阪民報》事件ぐらいだが,〈プレス・コード違反の疑い〉は第2次読売争議,レッドパージなど労働運動弾圧の口実として乱用された。【新井 直之】。…
…実際,大企業では〈経営権確保〉を旗印とする日経連の唱道のもとに労働組合法の改訂を機に労働協約の改変が企てられ,経営協議会の諮問機関への編成替えが進められていった。これに対して産別会議は,共産党の極左的な運動による威信の失墜に加えて,朝鮮戦争の勃発を機とするレッドパージによって企業のなかの活動家を失ったこともあって影響力を喪失し,またこれに対抗する勢力としての民同は,〈経営民主化〉をうたいながらも事実上はそれを棚上げした生産復興闘争に矮小(わいしよう)化していったため,有効な反撃を組織しえないまま企業組合主義のなかに埋没していった。こうして,50年7月民同勢力の結集体として総評が成立したころは,企業秩序の再編が進展するなかで労働組合が活力を失い,労働者の不満が鬱積(うつせき)していった時期であった。…
※「レッドパージ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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