山本 嘉一
ヤマモト カイチ
- 職業
- 俳優
- 生年月日
- 明治10年 9月6日
- 出生地
- 東京市 日本橋区鉄砲町(東京都 中央区)
- 学歴
- 日本橋学校卒
- 経歴
- 明治28年川上音二郎一座に入る。欧米の海外巡業も経験し一座の重鎮として活躍。44年音二郎死後は、舞台でも貞奴の相手役をつとめた。大正6年日活向島に40歳で入社、「霧のちぎり」でデビュー。11年頃には松竹の井上正夫と、松竹・日活の両巨頭と称された。12年震災後、京都の大将軍撮影所へ。所内で「先生」と呼ばれる唯一の俳優であった。15年に演じた「水戸黄門」の黄門と、6年「乃木大将」での乃木は山本の十八番となる。一方では吉良吉野介のような悪役も得意とし、善悪両方の人物を重厚にみごとに演じた。昭和9年日活現代劇部の移転で多摩川へ。14年内田吐夢「土」が遺作となった。
- 没年月日
- 昭和14年 12月17日 (1939年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
山本 嘉一
ヤマモト カイチ
明治〜昭和期の俳優
- 生年
- 明治10(1877)年9月6日
- 没年
- 昭和14(1939)年12月17日
- 出生地
- 東京市日本橋区鉄砲町
- 学歴〔年〕
- 日本橋学校卒業
- 経歴
- 明治28年川上音二郎一座に入る。欧米の海外巡業も経験し一座の重鎮として活躍。44年音二郎死後は、舞台でも貞奴の相手役を務めた。大正6年日活向島に40歳で入社、「霧のちぎり」でデビュー。11年頃には松竹の井上正夫と、松竹・日活の両巨頭と称された。12年震災後、京都の大将軍撮影所へ。所内で「先生」と呼ばれる唯一の俳優であった。15年に演じた「水戸黄門」の黄門と、6年「乃木大将」での乃木は山本の十八番となる。一方では吉良吉野介のような悪役も得意とし、善悪両方の人物を重厚にみごとに演じた。昭和9年日活現代劇部の移転で多摩川へ。14年内田吐夢「土」が遺作となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
山本嘉一 やまもと-かいち
1877-1939 明治-昭和時代前期の俳優。
明治10年9月6日生まれ。28年川上音二郎の一座にくわわり,32年海外公演に参加する。大正6年映画に転じて日活にはいり,「乃木将軍」「水戸黄門」「土」などに主演した。昭和14年12月17日死去。63歳。東京出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の山本嘉一の言及
【土】より
…シナリオは八木隆一郎,北村勉。配役は勘次が当時内田吐夢作品の常連であった小杉勇,おつぎが新人の風見章子,卯平が日活の名優山本嘉一。茨城県の農村に撮影用の農家を建て,そこにスタッフが住み込み,約1年間かけて撮影されただけあって,碧川(みどりかわ)道夫のカメラによる画面は,農村の四季をなまなましく克明にうつし出し,リアリズム映画の一頂点と目されるに至っている。…
※「山本嘉一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」