コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

井上正夫 いのうえまさお

7件 の用語解説(井上正夫の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

井上正夫
いのうえまさお

[生]1881.11.1. 愛媛
[没]1950.2.7. 神奈川湯河原
俳優。政夫とも書いた。本名小坂勇一。俳優を志して新派の一座を転々,伊井蓉峰の一座で頭角を現した。 1910年,自由劇場の運動に触発され,新劇を上演する新時代劇協会を興すが,経済的に失敗して再び新派に戻り,伊井,河合武雄らと並んで大幹部となる。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

いのうえ‐まさお〔ゐのうへまさを〕【井上正夫】

[1881~1950]新派俳優。愛媛の生まれ。本名、小坂勇一。新派の幹部として活躍したが、昭和11年(1936)新派と新劇の中間を行く中間演劇を提唱し、井上演劇道場を作る。芸術院会員。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

井上正夫【いのうえまさお】

新派俳優。本名小坂勇一。愛媛県生れ。15歳で伊井蓉峰一座に加わり,のち幹部となる。1910年新時代劇協会を組織,近代劇の上演にも意欲をみせた。映画にも出演。1936年には〈中間演劇〉を提唱して井上演劇道場を開いた。(1881-1950)

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上正夫 いのうえ-まさお

1881-1950 明治-昭和時代の舞台俳優。
明治14年6月15日生まれ。旅回りの一座で修業。明治38年東京の真砂座で伊井蓉峰(いい-ようほう)一座の「女夫波(めおとなみ)」に出演。43年新時代劇協会を結成。昭和11年井上演劇道場をつくる。24年芸術院会員。昭和25年2月7日死去。68歳。愛媛県出身。前名は井上政夫。本名は小坂勇一。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

いのうえまさお【井上正夫】

1881‐1950(明治14‐昭和25)
俳優。本名小坂勇一,愛媛県出身。少年期に大阪で成美団を観劇して新派に参加,上京して認められ,《破戒》の主役丑松を演じたが,あきたらずに1910年新時代劇協会をつくりショーの《馬盗坊(うまどろぼう)》などを上演した。大正期再び新派に戻り《酒中日記《大尉の娘》当り役を得たが,36年井上演劇道場を創設して進歩的行動をとる。42年道場を解散,のち再び新派に参加した。49年に芸術院会員に選ばれたが,翌年1月新橋演舞場の《恋文》が最後の舞台となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

いのうえまさお【井上正夫】

1881~1950) 俳優。愛媛県生まれ。本名は小坂勇一。伊井蓉峰ようほう一座に加入。1936年(昭和11)中間演劇を唱えて井上演劇道場を創設,多くの俳優・劇作家を育てた。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上正夫
いのうえまさお
(1881―1950)

俳優。本名小坂勇一。愛媛県生まれ。少年時代陶器商に奉公したが、大阪の新派劇・成美団(せいびだん)を見て俳優を志し、酒井政俊一座に井上政夫(のち正夫)の名で出演。のち東京に出て、1905年(明治38)真砂座(まさござ)で伊井蓉峰(いいようほう)一座の『女夫波(めおとなみ)』の橋見秀夫役で喝采(かっさい)を博し、翌年『破戒』の丑松(うしまつ)に抜擢(ばってき)され、新派俳優としての地位を固めた。新劇の興隆に刺激されて、10年新時代劇協会を組織して、ショー作『馬盗坊(うまどろぼう)』などに好評を得たが、19年(大正8)新派に復帰。以後大幹部として優れた性格描写と重厚な演技で劇壇に重きをなした。映画にも出演、また大正初期には連鎖劇をも手がけた。36年(昭和11)には新派と新劇との「中間演劇」を標榜(ひょうぼう)して、井上演劇道場を開き、三好(みよし)十郎、久板栄二郎(ひさいたえいじろう)、北条秀司、八木隆一郎などの清新な戯曲を上演した。第二次世界大戦終了直後、一時新協劇団に入団、晩年は新派に参加した。49年(昭和24)芸術院会員になる。当り芸は『酒中日記』の大河今蔵、『彦六大いに笑う』の彦六、『富岡先生』の富岡小助、『閣下』の閣下、『大尉の娘』の森田慎蔵など。著書に『化け損ねた狸(たぬき)』がある。[菊池 明]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の井上正夫の言及

【井上演劇道場】より

…明治末期以来,新派俳優中で最も進歩的行動をとってきた井上正夫が,1936年4月,村山知義を協力者として創設した劇団。芸術的な大衆演劇の創造を目標にしたのを,新派と新劇のあいだを行く〈中間演劇〉と評された。…

【新協劇団】より

… 第2次大戦後,村山が再建にのりだし,46年2月には再建第1回公演を持った。薄田(すすきだ)研二,八田元夫(1903‐76)のほか,新派の井上正夫も一時期これに参加した。しかし〈50年問題〉といわれる共産党の内部抗争の影響を受け,1951年薄田,岡田英次ら演技陣の大量脱退者が出るにおよんで弱体化し,59年に薄田らの中央芸術劇場と合体して東京芸術座となった。…

【新派】より

…他の各座もしばらく雌伏期にあったが,1902年になり,歌舞伎界で団菊左の名優があいついで没すると,〈新派〉は一挙に全盛期をむかえることになった。04年から明治末まで数年間,《想夫恋》《高野聖》《乳姉妹(ちきようだい)》《己が罪》《俠艶録(きようえんろく)》《通夜物語》《婦系図》など,尾崎紅葉,泉鏡花,菊池幽芳,渡辺霞亭らの新聞小説の劇化と,畠山古瓶(こへい),花房柳外,田口掬汀(きくてい),小栗風葉,柳川春葉,小島孤舟,佐藤紅緑らの作者が脚本を書き,俳優としては井上正夫,福島清,村田正雄,山崎長之輔,英太郎,木下吉之助,山田九州男,藤村秀夫らが輩出した。全盛期には松竹によって〈本郷座〉でしばしば新派大合同公演がもたれ,そこは〈新派のメッカ〉といわれた。…

※「井上正夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

井上正夫の関連キーワード愛媛県越智郡愛媛県喜多郡愛媛県西条市楠愛媛県松山市小坂愛媛県大洲市柴愛媛県松山市高田愛媛県松山市堀之内愛媛県松山市三津泉敬太郎越智勇一

今日のキーワード

参院選の日程

改選議員が任期満了を迎える7月25日の前30日以内に実施される。参院選を「18歳選挙」の対象とするためには6月20日以降の公示とする必要がある。投票日を通例の日曜日とすれば、候補は7月10日、17日、...

続きを読む

コトバンク for iPhone

井上正夫の関連情報