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「水戸黄門」の意味・読み・例文・類語
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知恵蔵
「水戸黄門」の解説
水戸黄門
TBS系月曜夜8時放送のナショナル劇場(2008年よりパナソニックシアターと改名)での時代劇シリーズの1本。1969年8月より放送が開始された。
あらすじは、江戸時代、水戸藩2代目藩主の水戸光圀が越後のちりめん問屋に扮して諸国を漫遊しながら世直しをするというもの。「大岡越前」「江戸を斬る」などと交互に放送された。テレビ界まれにみる長寿番組で、42年間多くの人に親しまれてきたが、11年12月での放送終了が決定している。03年12月には放送1000回を数え、歴代のレギュラーが総出演する3時間のスペシャルが放送された。最高視聴率は1979年(第9部)に記録した43.7%。主題歌の「あゝ人生に涙あり」(木下忠司作曲)は、人生の応援歌として多くの人に愛されている。
実在の水戸光圀は水戸藩初代藩主頼房の3男で、徳川家康の孫にあたる。34歳で2代目藩主となり、勧農政策や教育の振興、藩職制の整備などに力を入れた。江戸の藩邸に彰考館を建てて『大日本史』編纂に努めたが、彼が国内を漫遊したという記録は残っていない。しかし、番組では佐々木助三郎(=助さん)、渥美格之進(=格さん)を供に連れて、北は北海道の松前藩から南は鹿児島の薩摩藩まで、江戸時代琉球国であった沖縄を除く日本全国を漫遊する。だが、撮影はほとんど京都で行われ、現地ロケを行ったのは、嬉野(佐賀県)、長崎(長崎県)、金沢(石川県)、宮島(広島県)、箱根(神奈川県)などだけである。
有名な「この紋所が目に入らぬか」という決め台詞は、シリーズ開始時はその位置づけがあいまいだった。当初は「威圧的」だと内部から反対意見が出たが、実際に放送したところ視聴者の評判が良く、次第に定着していった。
時代考証的には多くの誤りが指摘されている本作だが、明朗時代劇の王道として認識されている。テレビ放映以前にも映画化されていたが、本作がこれまでの映画などと決定的に違うのは、家族で楽しめるホームドラマを目指し黄門一行の関係を「お爺ちゃんと孫の関係」と捉えたことと、忍者崩れの「盗賊風車の弥七」、旅先のガイド役にもなる「うっかり八兵衛」というキャラクターを創造したことである。第16部から登場の由美かおる扮する「かげろうお銀」も好評を博した(第29部からは「疾風のお娟」として登場)。それによって、95年にはお銀を主役とした「かげろう忍法帖」というスピンオフ作品も生まれた。
主役の水戸光圀は、企画段階では森繁久弥がキャスティングされていたという話もあるが、初代は東野英治郎(69年~83年4月)が、2代目を西村晃(83年10月~92年11月)が演じた。東野、西村共に映画俳優としては悪役を演じることが多い俳優だった。3代目は佐野浅夫(93年5月~2000年11月)が、4代目は石坂浩二(01年4月~02年7月)が、最終の5代目黄門は里見浩太朗(02年10月~最終回)が演じている。里見浩太朗は2代目助さんも演じた。
幅広い年代層に支持されてきた長寿番組だったが近年は視聴率が低迷し、11年7月に始まった第43部では10%前後と苦戦している。最終回に向けて水戸黄門一行は江戸から水戸に向かう予定。同番組の終了によって、レギュラー時代劇はNHKの大河ドラマを残すのみになる。
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水戸黄門〔ドラマ〕
日本のテレビドラマシリーズのひとつ。放映はTBS系列。水戸藩の2代目藩主、水戸光圀公(黄門さま)が、お供の助さん・格さんとともに、身分を隠して諸国を旅しながら世直しをするという物語。通常1話完結で、クライマックスには徳川家の紋章である葵の御紋の入った印籠が掲げられ、それを見て光圀の正体を悟った悪人たちが平伏し、一件落着するという定型の展開で知られる。1969年の放映開始から、2011年の終了まで、主要キャストを変更しつつ、43のシリーズが制作・放映された。最終回スペシャルを含む放映回数は通算で1227回。光圀役は、第1部から第13部(1969年~1982年)までを東野英治郎、第14部~第21部(1983年~1992年)までを西村晃、第21部~第28部(1993年~2000年)までを佐野浅夫、第29部、30部(2001年~2002年)を石坂浩二、第31部~最終回(2002年~2011年)までを里見浩太朗がそれぞれ演じた。2017年、BS-TBSにて新シリーズが放映された(光圀役:武田鉄矢)。
水戸黄門〔小説〕
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世界大百科事典(旧版)内の水戸黄門の言及
【徳川光圀】より
…文化財については,那須国造碑(栃木県,国宝)の保存や侍塚(栃木県,史跡)の発掘保存,遠く多賀城碑(宮城県)の修復などにも力を入れ,仏像などの保護にも努めた点は,むしろ今日になってその成果が評価されるようになったといえる。後世水戸黄門といえば光圀を指すのは,中納言の唐名黄門の代表的存在とされたからである。【瀬谷 義彦】
[伝承と作品化]
光圀が〈名君〉として広く定着したのは江戸末から明治期で,講談・実録本の流布,演劇化などにより虚構が拡大された。…
【月形竜之介】より
…その間のおもな作品に,傾向映画の代表作といわれる伊藤大輔監督《斬人斬馬剣(ざんじんざんばけん)》(1929)のほか,《白野弁十郎》《弥藤太昇天》《暁の市街戦》《神風連》《桃中軒雲右衛門》《月形半平太》がある。40年ころから脇役にまわることが多くなり,黒沢明監督《姿三四郎》(1943)の檜垣源之助役,谷口千吉監督《ジャコ万と鉄》(1949)のジャコ万役などの風格ある悪役で好評を博し,やがて東横映画(のち東映)に入社して,マキノ雅弘監督《殺陣師段平》(1950)の段平役のほか,《水戸黄門》シリーズの黄門役など,東映時代劇の名脇役として円熟の芸を見せた。なお,長男も月形哲之介を芸名に時代劇で活躍した。…
※「水戸黄門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」