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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…唐の玄宗の開元26年(738)に翰林院が設けられ,工芸書画の徒がいて,待詔とか内供奉と呼ばれたが,張彦遠の《歴代名画記》には画院の名がみえ,また史館画直,集賢画直,少府監,尚方などの職名をもつ画家が挙げられているから,翰林院にのみ画工がいたわけではなく,集賢院などに所属するものもあったらしい。翰林院の先例とおぼしきものはすでに前漢にあり,黄門と呼ばれて,そこには一芸に秀でた職人たちが待詔として採用されていた。後漢では少府の属官の尚方に所属する画工がいて,盛んに帝王や功臣や勧戒の図を描いていた。…
…また《広韻》は黄を中央の色とするが,これは五行思想から東西南北と中央の五方を青白赤黒および黄で象徴したものである。このように黄は地の中央を支配する天子を象徴する色となり,たとえば天子の車を黄屋,天子の鉞(まさかり)を黄鉞,宮城の門を黄門または黄闥と呼んだ。インドでは人民の4階級(カースト)を表す4色(白赤黄黒)のうち黄はクシャトリヤ(王侯・武士階級)の色である。…
※「黄門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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