山本土佐掾(読み)やまもととさのじょう

改訂新版 世界大百科事典 「山本土佐掾」の意味・わかりやすい解説

山本土佐掾 (やまもととさのじょう)
生没年:?-1700(元禄13)

近世前期の浄瑠璃太夫。初め大坂の伊藤出羽掾,岡本文弥らに師事して角太夫(かくだゆう)を名のり,やがて独自の角太夫節を編み出して1675年(延宝3)ころには京都に一座を興し,77年に相模掾を受領,さらに85年には土佐掾と改めて宇治加賀掾と並ぶ京都浄瑠璃界の中心的存在となった。説経系(説経浄瑠璃)の演目を得意とし,悲哀を強調した〈ウレイブシ〉を創始する一方,〈からくり〉などを多用した演出で観客の目を楽しませた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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世界大百科事典(旧版)内の山本土佐掾の言及

【出世景清】より

…本作は近松と義太夫の提携第1作という意味でも,その優れた悲劇性に対する近代の評価も加わって,浄瑠璃史上,古浄瑠璃と一線を画する作という位置付けを得ている。もっとも当時は義太夫の語り物の中ではさほど評判を得ていなかったもようであるが,しかし京の太夫山本角太夫(山本土佐掾)の語り物としては,本作の影響力はきわめて大きく,多くの版を重ね,幕末に至るまで地方などで出版され,今も佐渡や金沢あたりで語り継がれている。それは観音利生譚としての本作の宗教性によるもので,江戸中期,薩摩若太夫の説経祭文にもこの演目は採り入れられている。…

【浄瑠璃】より

…これは上方にまだ特色ある太夫が現れず,過渡期的現象であった。大坂の出羽掾座で文弥節を学んだ山本角太夫(かくたゆう)(山本土佐掾)が,75年(延宝3)ころ京でうれい節を語った(語り物に《しのだづま》ほか)。その門下に松本治太夫がある。…

※「山本土佐掾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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