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山本土佐掾 やまもと とさのじょう

朝日日本歴史人物事典の解説

山本土佐掾

没年:元禄13(1700)
生年:生年不詳
江戸前期,宇治加賀掾と京都の人気を二分した古浄瑠璃の太夫。出自については不明な部分が多いが,京都出身で,本名を次左衛門といった可能性がある。はじめ山本角太夫といい,「天下一若狭掾藤原吉次」の名代(興行権)を持って,四条通り南側(東岸)に人形浄瑠璃の櫓を上げた。現存正本としては,延宝4(1676)年刊の「酒呑童子」が最も古いが,これが旗上げ興行時の演目かどうかは不明。同5年閏12月,加賀掾とほぼ同時に相模掾を受領し,記念興行に「頼朝三島詣」を上演した。しかし,京都新所司代に就任した土屋相模守と同名となったためさしさわりが生じ,土佐掾を再受領。 大坂の伊藤出羽掾や同座の岡本文弥に学び,作品も多く師匠譲りのものを語って,出羽や文弥を特徴づけた「泣き節」や段末をせきあげるように語る「くり上げ節」を発展させて,「愁い節」「かんとめ節」を編みだした。愁嘆描写を得意とし,生来高音に秀でていたらしく,「はるーかんーはるーかん」を繰り返して「愁い節」で受ける語り口には卓抜したものがあり,その曲風は角太夫節といってもてはやされた。しかし,加賀掾に比して作柄は概して保守的で,「善光寺」を家の浄瑠璃とするごとく,宗教色濃い作品が目につく。門下から松本治太夫や都一中らを輩出したほか,本家筋の出羽座の後進太夫たちにも大きな影響を与えた。代表作に「石山開帳」「七小町」「大しよくはん」「熊井太郎孝行之巻」「天王寺彼岸中日」など。<参考文献>信多純一「山本角太夫について」(古典文庫『古浄瑠璃集/角太夫正本1』解題),『古浄瑠璃正本集/角太夫編』全3巻

(阪口弘之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

やまもととさのじょう【山本土佐掾】

?‐1700(元禄13)
近世前期の浄瑠璃太夫。初め大坂の伊藤出羽掾,岡本文弥らに師事して角太夫(かくだゆう)を名のり,やがて独自の角太夫節を編み出して1675年(延宝3)ころには京都に一座を興し,77年に相模掾を受領,さらに85年には土佐掾と改めて宇治加賀掾と並ぶ京都浄瑠璃界の中心的存在となった。説経系(説経浄瑠璃)の演目を得意とし,悲哀を強調した〈ウレイブシ〉を創始する一方,〈からくり〉などを多用した演出で観客の目を楽しませた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山本土佐掾
やまもととさのじょう

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世界大百科事典内の山本土佐掾の言及

【出世景清】より

…本作は近松と義太夫の提携第1作という意味でも,その優れた悲劇性に対する近代の評価も加わって,浄瑠璃史上,古浄瑠璃と一線を画する作という位置付けを得ている。もっとも当時は義太夫の語り物の中ではさほど評判を得ていなかったもようであるが,しかし京の太夫山本角太夫(山本土佐掾)の語り物としては,本作の影響力はきわめて大きく,多くの版を重ね,幕末に至るまで地方などで出版され,今も佐渡や金沢あたりで語り継がれている。それは観音利生譚としての本作の宗教性によるもので,江戸中期,薩摩若太夫の説経祭文にもこの演目は採り入れられている。…

【浄瑠璃】より

…これは上方にまだ特色ある太夫が現れず,過渡期的現象であった。大坂の出羽掾座で文弥節を学んだ山本角太夫(かくたゆう)(山本土佐掾)が,75年(延宝3)ころ京でうれい節を語った(語り物に《しのだづま》ほか)。その門下に松本治太夫がある。…

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