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角太夫節 かくだゆうぶし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

角太夫節
かくだゆうぶし

浄瑠璃一種山本角太夫 (受領号土佐掾) が始めた語り方で,憂い節を特色とし,延宝~元禄年間 (1673~1704) 大坂,京都で栄えた。

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大辞林 第三版の解説

かくたゆうぶし【角太夫節】

上方の古浄瑠璃の一。山本角太夫(土佐掾)が語り出したもの。哀婉な曲風で「うれい節」と呼ばれて人気を得た。曲節の一部は義太夫節に取り入れられて残っている。

すみだゆうぶし【角太夫節】

寛文(1661~1673)の頃京都で山本角太夫が起こした京浄瑠璃節。この派から文弥ぶんや節が生まれた。

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世界大百科事典内の角太夫節の言及

【人形浄瑠璃】より

…大坂で《頼光跡目論(あとめろん)》など金平物を得意とした井上播磨掾の門下から,竹本義太夫が生まれたのも故なしとしない。しかし中世色の濃い説経風の古浄瑠璃,角(かく)太夫節なども民衆の根強い支持を保ち,他方,古典的な優雅な題材を扱いつつ現代風俗をも摂取して浄瑠璃の地位を高めた宇治加賀掾は,近松初期の作品《世継曾我》(1683∥天和3)などを演じ,古浄瑠璃と義太夫節の橋渡し的存在となった。
[近松・義太夫時代――1680年代~1720年代]
 宇治加賀掾のワキをつとめていた竹本義太夫(筑後掾)は1684年(貞享1)大坂道頓堀,現在の浪花座の位置に竹本座を創立,歌舞伎と肩を並べる現代劇としての義太夫節を創始した。…

【文弥節】より

…文弥節を吸収したのは義太夫節で,《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》の〈政岡忠義の段〉の,〈忠と教える親鳥の〉は文弥節,《絵本太功記》十段目の〈涙に誠あらわせり〉は文弥オトシである。そのほか,山本角太夫(かくだゆう)の角太夫節も影響を受け,一中節も文弥の泣き節をとり入れたといわれ,新内節で使われるウレヒは,阿波太夫の影響といわれる。文弥節は義太夫の流行もあって,宝永(1704‐11)ころから急に衰退した。…

※「角太夫節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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