朝日日本歴史人物事典 「伊藤出羽掾」の解説
伊藤出羽掾
大坂最古の古浄瑠璃太夫のひとりで,人形浄瑠璃出羽座の座本を兼ねた。万治から延宝(1658~81)にかけて,井上播磨掾と共に抜群の人気を誇った。明暦4(1658)年受領(太夫が朝廷,明治以降は宮家の許しを受けて,名目的な国名を付した掾号を名乗ること)して出羽掾藤原信勝を名乗ったが,正保5(1648)年に「しんらんき」を上演して,本願寺から訴えられた太夫として粟津家文書の『浄瑠璃本親鸞記一件』にその名のみえる出羽と同人かどうかは判然としない。江戸の金平浄瑠璃に対抗するように,はじめ金吉なる若者を創造し,「天狗羽討」「頼光蜘蛛切」などの武勇物を語ったが,寛文中期以降は,「よこそねの平太郎」「阿弥陀本地」「中将姫御本地」「一心二がびやく道」など,説経色の濃い作柄が多くなった。からくりや糸操を駆使した舞台演出は特に人気を呼び,大坂名物とまでいわれた。一門をよくまとめ,岡本文弥や山本角太夫(土佐掾),さらには人形遣いの名手山本飛騨掾らを世に送り出した。<参考文献>横山重校訂『古浄瑠璃集/出羽掾正本』(古典文庫),阪口弘之「出羽座をめぐる太夫たち」(『人文研究』26巻3分冊)
(阪口弘之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報