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伊藤出羽掾 いとう でわのじょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊藤出羽掾 いとう-でわのじょう

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂最初の太夫といわれ,道頓堀を拠点に操り芝居を興行,万治(まんじ)元年受領(ずりょう)して出羽掾藤原信勝(のぶかつ)を名のる。からくりを活用し,寛文-延宝年間(1661-81)を最盛期として井上播磨掾(はりまのじょう)と芸をきそった。門下に岡本文弥,山本角太夫(すみだゆう)ら。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊藤出羽掾

生年:生没年不詳
大坂最古の古浄瑠璃太夫ひとりで,人形浄瑠璃出羽座の座本を兼ねた。万治から延宝(1658~81)にかけて,井上播磨掾と共に抜群の人気を誇った。明暦4(1658)年受領(太夫が朝廷,明治以降は宮家の許しを受けて,名目的な国名を付した掾号を名乗ること)して出羽掾藤原信勝を名乗ったが,正保5(1648)年に「しんらんき」を上演して,本願寺から訴えられた太夫として粟津家文書の『浄瑠璃本親鸞記一件』にその名のみえる出羽と同人かどうかは判然としない。江戸の金平浄瑠璃に対抗するように,はじめ金吉なる若者を創造し,「天狗羽討」「頼光蜘蛛切」などの武勇物を語ったが,寛文中期以降は,「よこそねの平太郎」「阿弥陀本地」「中将姫御本地」「一心二がびやく道」など,説経色の濃い作柄が多くなった。からくりや糸操を駆使した舞台演出は特に人気を呼び,大坂名物とまでいわれた。一門をよくまとめ,岡本文弥や山本角太夫(土佐掾),さらには人形遣いの名手山本飛騨掾らを世に送り出した。<参考文献>横山重校訂『古浄瑠璃集/出羽掾正本』(古典文庫),阪口弘之「出羽座をめぐる太夫たち」(『人文研究』26巻3分冊)

(阪口弘之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いとうでわのじょう【伊藤出羽掾】

近世前期の浄瑠璃太夫。生没年不詳。道頓堀を本拠に活躍し,1658年には出羽掾を受領,とくに寛文・延宝期(1661‐81)をその最盛期として当時大坂の第一人者井上播磨掾と競い合った。初めは勇壮な金平(きんぴら)物(金平浄瑠璃),後には哀調を帯びた説経系の語り物(説経浄瑠璃)を得意とし,また,演出面では〈からくり〉などの技巧の活用に特色が発揮されている。その芸風は一門の岡本文弥や山本土佐掾らに受け継がれた。

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世界大百科事典内の伊藤出羽掾の言及

【浄瑠璃】より

…その中で注目されるものに金平(きんぴら)節(金平浄瑠璃),外記節土佐節がある。金平節は大坂の伊藤出羽掾,井上播磨掾にも影響した。土佐節は複雑な曲調で〈江戸〉として義太夫節にも採られ,近松にも影響したらしい。…

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