日本歴史地名大系 「山梨村」の解説 山梨村やまなしむら 千葉県:四街道市山梨村[現在地名]四街道市山梨・旭(あさひ)ヶ丘(おか)一―五丁目・みそら三丁目など長岡(ながおか)村の南に位置する。東を鹿島(かしま)川、北をその支流小名木(おなぎ)川が流れ、両流域一帯に水田が広がる。集落は山林および畑を有する台地上にあり、東から向井(むかい)・川戸(かわど)・宿(しゆく)に分れていた(下総旧事考)。「和名抄」に載る千葉郡山梨郷の遺称地とされる。また「和歌初学抄」および「八雲御抄」に下総の歌名所としてあげられる「やまなしの里」は当地に比定される。「千学集抜粋」に天文一九年(一五五〇)の妙見宮(現千葉市千葉神社)遷宮用材に関し「はね木ハ山梨の山にてきる」とある。天正一八年(一五九〇)一一月、当村の二〇〇石が旗本間宮(青山)領となったとされる。間宮氏はその後寛永一〇年(一六三三)・慶安四年(一六五一)に各二〇〇石、延宝三年(一六七五)に一〇〇石を加増されたが、貞享五年(一六八八)所領を没収された(以上「四街道市の文化財」)。 山梨村やまなしむら 岐阜県:大野郡久々野町山梨村[現在地名]久々野町山梨飛騨街道沿いに久々野村の北にあり、北端石光(せつこう)山(一〇五三・二メートル)から流出する八尺(はつしやく)川が南流する。慶長一〇年(一六〇五)飛騨国郷帳の久々野郷に村名がみえ、川内(こうち)村・無洲川(むすご)(無数河)村とともに高付され五八〇石余、田三六五石余・畑二一五石余、物成高一二七石余。元禄七年(一六九四)検地帳によれば高七一石余・一〇町四反余(うち畑七町二反余)、家数一四、七割が畑作(久々野町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by