日本歴史地名大系 「久々野村」の解説 久々野村くぐのむら 岐阜県:大野郡久々野町久々野村[現在地名]久々野町久々野東は南流する飛騨川で限られ、西は山嶺で宮(みや)村(現宮村)、北は山梨(やまなし)村と大西(おおにし)村。飛騨川および南西流して同川と合流する八尺(はつしやく)川沿いに平地が多く、西側と両川の間は山地。山梨村に通じる飛騨街道のほか、南方無数河(むすご)村の上村より宮峠へ至る茂谷(もだに)道が山麓に、宮峠より八尺川沿いに古くは京街道があった。また飛騨川と八尺川の合流点付近を信州に向かう古道が通った。建保二年(一二一四)一二月日の飛騨国国司庁宣(毛利正彦氏所蔵文書)に水無(みなし)神社(現宮村)神領として「久々野」がみえる。 久々野村くぐのむら 新潟県:中頸城郡板倉町久々野村[現在地名]板倉町久々野関田(せきだ)山地中、大熊(おおくま)川沿いにあり、東に猿供養寺(さるくようじ)村、北に釜塚(かまづか)村・機織(はたおり)村がある。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳に高五一四石余とある。天和三年郷帳では高四一六石余、うち山高三石五斗二升。森(もり)ノ木(き)神社がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by