山津村(読み)やまづむら

日本歴史地名大系 「山津村」の解説

山津村
やまづむら

[現在地名]大分市千歳せんざい山津町やまづまち一―二丁目など

乙津おとづ村の西にあり、同村から伊予街道(肥後街道)が西進して高松たかまつ村に向かう。領主変遷本三川ほんみつがわ村に同じ。日向延岡藩領となった当初は、豊後国内飛地領支配の拠点として当村に役所が設置されたが、正徳五年(一七一五)千歳村に移され(「指出帳」内藤家文書)、以後千歳役所の支配を受けることとなった。正保郷帳に村名がみえ田高二二三石余・畑高一一八石余、高田たかた庄と付記。日損所がある。元禄郷帳では高五五四石余。明治二年(一八六九)には本田高五五〇石余・新田高一二石余、竈数一一五・人数九三六(「竈数石高人別調帳」内藤家文書)。宝暦六年(一七五六)には高札五枚が設けられていた(「大分郡三拾弐ヶ村御高札員数書上帳」同文書)


山津村
やまつむら

[現在地名]佐賀市北川副町きたかわそえまち大字光法みつのり字山津

佐賀江のすぐ南の水田地帯にあり、佐賀本藩の直轄地で穀倉地域である。増田ますだ村・深町ふかまち村・犬尾いぬお村を含んで総称されることもある。寛永二〇年(一六四三)の八天神社文書に村名がみえる。狭い意味での山津村は川副上郷の東端にあって川副東郷(現佐賀郡諸富もろどみ町)と境を接している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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