ドイツの教育学者。フェーギスハイムに生まれる。カールスルーエ師範学校卒業(1900)ののち、マンハイムの小学校教師をしながら社会史、文化史、教育史の研究を続けた。フランクフルト・アム・マインの教育大学教授(1928)を経て、ハイデルベルク大学総長となった(1933)。ヘルバルト以来の従来の教育学を個人主義的、規範的、技術的教育学であると批判し、それに対して現実的、客観的事象としての教育事実の叙述、認識を目的とする教育科学Erziehungswissenschaftの樹立を唱えた。彼によれば、教育とは、他の社会機能と密接な連関をもつ社会の根源的機能であり、社会が生活秩序、価値などの文化を通してその成員を類型同化する過程であるとされた。しかも、社会の包括的、本源的母体を民族国家と考え、これを諸機能の統一原理とすることにより、その教育科学は民族主義的、国家主義的性格を濃厚にした。
主著『教育の哲学』(1922)、『文化民族の教育組織』(1927)などにおける教育理念や、『自由ドイツ学校』誌上での中央党、社民党への攻撃は、ナチス政府の迎えるところとなり、その理論的イデオローグの役を果たすこととなった。
[舟山俊明]
かつてアメリカ合衆国のジョージア州とアラバマ州に住んでいたマスコギー(ムスコギーともいう)語系の北米先住民(アメリカ・インディアン)。1950年にはオクラホマ州に約5万人、アラバマ州に約500人が住んでいた。現人口は4万5872人(1990)。
トウモロコシ、カボチャ、豆類を栽培したが、農耕は主として女性の仕事で、男性は狩猟と戦いに携わった。50以上の母系トーテム氏族に分かれ、それらが胞族をなしていた。村は白組と赤組の二つの地域集団に分かれ、前者は平和の儀礼、後者は戦争の儀礼をつかさどっていた。クリークの社会には世襲的な身分の違いはなかったが、個人的能力、たとえば戦場での功績によって階級ができていた。側面に階段をつけた台形状に盛り土をし、その上に草葺(くさぶ)きのドーム状屋根をもつ宗教用建造物をつくった。
1813~14年のクリーク戦争に敗れたのち、クリークは一部を残してオクラホマ州に強制移住させられた。現在では、もともとの彼らの固有の言語や文化はほとんど失われている。
[板橋作美]
デルタ(三角州)その他の低湿地につくられた人工的水路。日本の佐賀平野や中国の揚子江(ようすこう)・珠江(しゅこう)、インドシナ半島のメコン川、タイのチャオプラヤー川のデルタにみられる。これらの低湿地帯の開拓史をみるとクリークが人工的に掘られたことがわかり、ほとんどの集落へはクリークが通じ、物揚げ場がつくられ、各家は小舟をもっている。クリークは灌漑(かんがい)、排水や交通(舟運)に使われ、底の泥土は肥料とされ、生産と生活の両面に大きく利用されている。
[浅香幸雄]
ドイツの教育学者。フェーギスハイムの生れ。師範学校卒業後,20年間小学校教師として働きながら,民族誌,教育学,文化史等の研究に励み,1923年ハイデルベルク大学から名誉学位(哲学)を授与された。28年にフランクフルト・アム・マインの教育大学教授に就任,34年にはハイデルベルク大学教授となり,それ以降ナチス・ドイツの教育界における最高指導者として活躍した。教育学史上に特筆さるべきは,その教育科学論であろう。彼は従来の教育学を当為的課題にしばられた技術学であると批判し,社会的根本機能としての教育事実の客観的認識と究明を任務とする純粋教育科学を提唱したが,この点はデュルケームと類似した主張として注目される。しかし民族とその機関である国家を教育の最高原理とする彼の民族共同体的理論は,時代の政治的潮流とも重なり,ナチス国家の御用理論の役割を果たした。彼の教育理論は第2次大戦にかけての国家主義的風潮の中で,日本の教育学界にも影響を及ぼした。
執筆者:平野 正久
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…この教育の科学は社会学的方法により変化の法則性を認識しようとするものであり,明らかに旧来の教育学とは違う。ドイツの教育学者E.クリークも,〈教育科学は教育とは何であるか,教育はいかにして行われるかを問うところから始まるのに対し,教育学は私は教育者として何を為さなければならぬかを問う〉とした。このように19世紀から20世紀にかけて教育科学が提唱されたが,それによって旧来の教育学が志向していたものを無視してよいということにはならない。…
※「クリーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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