山田いち(読み)ヤマダ イチ

20世紀日本人名事典 「山田いち」の解説

山田 いち
ヤマダ イチ

明治昭和期の女性 サツマイモの新品種“紅赤”の発見者。



生年
文久3年(1863年)

没年
昭和13(1938)年3月24日

経歴
武蔵国針ケ谷村(現・さいたま市)の兼業農家主婦で、明治31年“八房”種のサツマイモを収穫中に、皮が鮮紅色の芋を発見。親戚の吉岡三喜蔵がこの芋を“紅赤”と名づけて普及に努め、関東を中心に広まった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「山田いち」の解説

山田いち

没年:昭和13.3.24(1938)
生年:文久3(1863)
武蔵国足立郡針ケ谷村(浦和市)の兼業農家の主婦。明治後半から昭和にかけての関東の青果用甘藷の花形品種「紅赤」(東京では「金時」という)の発見者。明治31(1898)年秋,「八房」種の収穫中に皮が鮮紅色の芋を発見。親類で同村の篤農・種苗家吉岡三喜蔵が八房の突然変異したこの美味な芋を「紅赤」と命名し普及に努めたので,関東を中心に広まって「西の源氏,東の紅赤」とうたわれた。しかし作りにくいため,昭和の後半から激減した。<参考文献>青木雅子『紅赤ものがたり』

(井上浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田いち」の解説

山田いち やまだ-いち

1863-1938 明治-大正時代の新品種発見者。
文久3年生まれ。埼玉県木崎村(浦和市)の畳職の妻。兼業農家で,明治31年皮が鮮紅色のサツマイモの新品種を発見する。これを親戚の吉岡三喜蔵が試作し,紅赤(べにあか)と名づけて普及につとめた。昭和13年3月24日死去。76歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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