日本大百科全書(ニッポニカ) 「サツマイモ」の意味・わかりやすい解説
サツマイモ
さつまいも / 薩摩芋
sweet potato
[学] Ipomoea batatas (L.) Lam.
ヒルガオ科(APG分類:ヒルガオ科)の多年草。サツマイモの名は、17世紀、日本に導入されたのち、薩摩(さつま)(鹿児島)地方でよく栽培されたことに由来する。カンショ(甘藷)、リュウキュウイモ(琉球藷)、バンショ(蕃藷)、カライモ(唐芋)などともいう。いも(塊根)を食用とする重要な畑作物の一つである。
[星川清親 2021年6月21日]
形態
茎はつる性で地面をはって伸び、よく枝分れし、普通は2~6メートルになるが、品種によっては1メートルほどで、なかば立ち性になるものや、まれにつるが支柱に巻き付くものもある。茎の色は緑、紫褐色などで、断面は円く、直径3~10ミリメートルである。葉は互生し、多くは心臓形でやや紫色がかった緑色。品種によってはまれに葉に切れ込みがあるものや掌状のものもある。葉柄は5~10センチメートルで基部に小蜜腺(みつせん)がある。茎葉を切ると乳液が出る。葉の付け根から3~15センチメートルの花柄を出し、4~5個の花をつける。花は上向きの釣鐘状で、径約5センチメートル、淡紅色あるいは濃紅色、1本の雌しべと5本の雄しべがある。サツマイモは短日条件下で花をつける性質があり、温帯では開花する前に霜にあって枯れてしまうが、亜熱帯や熱帯では夏から秋に開花する。果実は球形の蒴果(さくか)で、径約1センチメートル、中に1~2個の種子がある。種子は半月形、黒色で、長さ約3ミリメートル。地面をはう茎の各節から根が伸び出し、その一部が地中で肥大していもとなる。いもの形や色は品種により異なり、形は細長い紡錘形や太い円筒形、球形などである。表面の色は紫や紅、黄白色などで、内部は白、黄、紅あるいは紫色などである。
[星川清親 2021年6月21日]
起源と伝播
アフリカ起源やアジア起源が提唱されたこともあったが、新大陸起源であることは野生祖先種の分布からみて疑う余地がない。現在の栽培サツマイモは六倍体で、その祖先種はメキシコからグアテマラの地域に自生する野生六倍体トリフィダ種I. trifida (H.B.K.) Don.である。この野生六倍体は、この地域に自生するトリフィダ種の二倍体と四倍体が交雑して三倍体雑種となり、続いて染色体倍加がおこり、野生六倍体となったものである。そしてこの野生六倍体が栽培化され、現在の栽培サツマイモができた。メキシコでは、考古学的資料はないが、紀元前3000年以前には栽培化されたが、この地域は古くからトウモロコシが栽培され、サツマイモは重要視されなかった。一方、ペルーでは前1000年ころの海岸の住居跡からサツマイモの乾燥根が出土しているので、前2000年ころにはペルーまで伝播(でんぱ)し、この地域の重要な作物となったと考えられる。ヨーロッパをはじめ旧大陸への導入は、コロンブスがスペインのイサベル女王へ献上したのが最初で、1492年以降である。そして17世紀までにはヨーロッパの各地に伝播したが、同じころに伝播したジャガイモほどには普及しなかった。アフリカには16世紀に、北アメリカには17世紀に伝播した。アジア諸地域にはフィリピンから、日本には中国および南方諸島から導入された。
[田中正武 2021年6月21日]
日本に伝わったのは、1597年(慶長2)に宮古島へ入ったのが最初とされる。17世紀初めには薩摩や長崎に伝わり、徐々に南九州一帯で栽培されるようになった。やせた土地でも、また凶作の年でも収穫できることが注目され、当時たびたび起こった凶作に対する救荒作物として重要視されるようになった。このため18世紀になると、青木昆陽(あおきこんよう)が江戸に導入するなど、各地で積極的な導入が計られ、飢饉(ききん)のたびに栽培が広がり、江戸時代末期までには東北地方まで栽培が普及した。
[星川清親 2021年6月21日]
栽培
繁殖は温暖地では実生(みしょう)もできるが、普通は栄養繁殖により、茎挿しが一般的である。種いもを苗床に植え、1週間ほど30℃に保ち、芽を出させたのちは25℃前後で育て、5月中旬~6月中旬、平均気温が19℃になって茎が30センチメートルほどに伸びたころ切り取って苗とし、畑に挿す。苗の挿し方は斜めや水平などいくつかの方法があるが、畝(うね)間60~90センチメートル、株間30~45センチメートルとし、肥沃(ひよく)な土地では疎植(そしょく)に、やせ地や早掘り、晩植栽培などでは密植とする。植え付け後1か月以内に除草が必要であるが、一度茎葉が地面を覆ってしまえば雑草の発生は少なくなる。収穫は晩秋、茎葉の成長が停止したころが適期であるが、一般には1、2回霜にあって葉が枯れてから収穫することが多い。最近は晩夏から早掘りも行われる。
肥料は他の作物よりもカリを多めに与える。標準的な施肥量は10アール当り窒素4~8キログラム、リン酸4~6キログラム、カリ10~20キログラムである。サツマイモは連作のできる作物であるが、吸肥力が強いので連作する場合には施肥量を多くする。また、堆肥(たいひ)は土壌条件をよくするので、10アール当り600キログラム以上は入れるようにする。窒素が多く、カリが不足すると、茎葉だけが繁茂していもがつかなくなる(つるぼけという)。
病気には、いもに黒斑(こくはん)ができて悪臭と苦味をもつ黒斑病や、葉に黒褐色の病斑が出る黒星(くろほし)病などがある。黒斑病は種いもや苗の消毒によって防ぎ、黒星病にはおもに耐病性品種を用いる。害虫にはナカジロシタバやイモコガなどのガの幼虫がおり、薬剤で防除する。
[星川清親 2021年6月21日]
品種
大正時代には紅赤(べにあか)、源氏などがよく栽培されたが、1940年(昭和15)ころから農事試験場などで組織的な交雑育種によって育成された品種が普及し始めた。育成品種には農林1号、2号、高系(こうけい)14号、沖縄100号、護国藷(ごこくいも)、ベニアズマ、シロユタカなどがある。大正時代の優良品種紅赤は、外皮は鮮紅色で長紡錘形、食味は非常によいが、育成品種に比べて収量が劣り、つくりにくいので、育成品種の普及とともに栽培が激減。その後、食味が重視され栽培が増えたものの、また減少傾向にある。農林1号は、外皮は赤褐色、食味がよく、栽培もしやすいので、第二次世界大戦後急激に増えたが、その後減少し、2001年(平成13)には作付面積でサツマイモ全体の1%を切った。高系14号は、外皮は鮮紅色で、外観、食味ともによく、若いうちからいもが太るので早掘り用として栽培が広がり、サツマイモ作付面積の約2割を占め安定している。ベニアズマは、農林水産省農業研究センター(現、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)で育成され、1984年(昭和59)に命名登録された品種で、収量が多く食味もよいため作付面積を広げ、全体の約3割を占めるに至っている。デンプン原料用として九州農業試験場(現、同機構九州沖縄農業研究センター)で育成され、1985年に命名登録されたシロユタカも、作付面積を広げている。これらのほか、コガネセンガンは、外皮は黄褐色で、デンプン原料用として栽培され、飼料用品種としては、茎葉といもの両方の収量が多いシロセンガンやベニセンガンなどがある。
[星川清親 2021年6月21日]
2014年の全国の品種別作付面積はデンプン用品種のコガネセンガンが全体の23.8%を占め、次いでベニアズマが13.7%、高系14号が13.5%、シロユタカが10.4%となっている。
[編集部 2021年6月21日]
貯蔵
いもの品質を保つため、貯蔵の温度と湿度を適正に管理することが重要である。貯蔵の温度は13~14℃、湿度は85~90%がよい。貯蔵温度が低すぎると腐りやすくなる。簡易貯蔵法として、深さ1メートルほどの溝を掘り、底や周りを藁(わら)で囲っていもを入れ、呼吸熱を利用して適温に保つ溝式貯蔵などがあるが、加温のできる大規模な収納庫を利用したキュアリングcuring貯蔵も行われている。これは、最初数日間、庫内の温度を30~33℃、湿度を90~95%にしておき、その後、13~14℃で貯蔵する方法である。いもは傷がつくと腐敗しやすくなるが、この方法によると、最初の高温期にいもの傷口にコルク層が形成され、自然治癒(キュアリング)し、病菌の侵入を防ぐことができ、いもの粘質が高まり、甘味も増し、外皮は滑らかになる。
[星川清親 2021年6月21日]
生産状況
世界の栽培面積は約920万ヘクタール、収穫量は約1億1283万トン(2017)で、その71%がアジアで収穫される。もっとも収穫量が多いのは中国で、7203万トン(アジアの総収穫量の90%)である。ついでマラウイ、タンザニア、ニジェール、インドネシア、エチオピアなどとなっている。
日本では、明治初期の作付面積が約15万ヘクタールで収穫量は約100万トンであったものが、明治の中期から栽培面積が20万ヘクタールを超え、収穫量も200万トンを超えた。その後大きな増減はなかったが、第二次世界大戦後急増し、1949年(昭和24)に44万ヘクタールに達し、敗戦後の食糧不足を救った。その後は減少し、2007年の作付面積は約4万0700ヘクタール、収穫量は約97万トンである。主産地は鹿児島、茨城、千葉、宮崎の各県などである。
[星川清親 2021年6月21日]
2018年の作付面積は3万5700ヘクタール、収穫量は79万6500トンである。都道府県ごとの収穫量は、鹿児島、茨城、千葉、宮崎の順で多い。
[編集部 2021年6月21日]
用途
日本では、収穫量の約49.7%が食用とされ、約39.5%がデンプンやアルコールなどの原料用、約7.5%が加工食品用、約0.3%が飼料用である(2015)。デンプンは飴(あめ)や食品原料、紡績糊(のり)や薬品原料など用途が多く、コーンスターチ(トウモロコシのデンプン)の輸入が増え、デンプン原料用は減少してはいるが、いまなお約12万トンが消費されている。アルコール用も減少していたが、焼酎(しょうちゅう)の人気により、増加に転じた。飼料用としては、専用の品種もあり、いもばかりでなく茎葉も利用する。とくに養豚業での消費が多い。
[星川清親 2021年6月21日]
食品
なまのいもの可食部100グラム中には炭水化物31.5グラム、タンパク質1.2グラム、脂質はわずか0.2グラム含まれ、熱量は132キロカロリー。ビタミンCは多く、29ミリグラム含まれ、肉質が黄色のいもではカロチンが比較的多く、50マイクログラム含まれている。日本で栽培されているいも類のなかで繊維質がもっとも多い。
サツマイモは加熱すると酵素が働いて、いものデンプンが糖に変わり、甘味が出る。日本では、かつてはふかしいも、焼きいもを主食の補足や代用としていたが、現在では総菜や菓子、間食用が中心である。野菜としては煮物やきんとん、てんぷら、種々の日本料理の材料として利用される。間食用としては、焼きいもや、揚げたてのいもに水飴(みずあめ)と炒(い)りごまをまぶした大学いもなどがある。保存用として蒸し切干しがある。これは蒸したいもを薄く切って乾燥させたもので、そのまま、あるいは火であぶって食べる。なまのまま乾燥させたものを生切干しといい、これを増量材として米に混ぜて炊いたものをかんころ飯などとよぶ。郷土菓子としては、東京の芋ようかん、埼玉県の芋落雁(いもらくがん)(初雁城(はつかりじょう))、料理は大分県の芋切り羹(かん)、かんころ餅(もち)が知られる。鹿児島県の芋焼酎(いもじょうちゅう)も名高い。
アジア、アフリカの熱帯では、いまも主食とされている。欧米では食用としての需要はあまり多くなく、菓子として食べる程度である。代表的な菓子はスイートポテトで、焼いたいもを裏漉(うらご)しし、シロップやバター、クリーム、香料、調味料などを練り込んで形づくり、表面に卵黄を塗ってオーブンで焼く。
[星川清親 2021年6月21日]
民俗
熱帯アメリカ原産のサツマイモが日本に移入されたのは、およそ17世紀のことであるが、当時種いもは各地で秘蔵され、また持ち出しがしばしば禁止されたために、その伝播には多くの逸話が伴っている。中国の福建省から琉球(りゅうきゅう)(沖縄)に初めてサツマイモを運んだ野国総管(のぐにそうかん)は「芋大王」とよばれ、さらに琉球から薩摩(鹿児島県)に伝えた前田利右衛門は「からいもおんじょ」といわれた。ここからサツマイモは全国に伝播されるが、巡礼に出て種いもを郷里への土産(みやげ)にもらった伊予(愛媛県)大三島(おおみしま)の下見(あさみ)吉十郎(1673―1755)は「芋地蔵」として祀(まつ)られている。石見(いわみ)(島根県)大森銀山の代官井戸平左衛門(1672―1733)は、享保(きょうほう)の飢饉に際し、その救済のためサツマイモを移植して「芋代官」の名を残している。このような伝播の様相は、トウイモ、カライモ、リュウキュウイモなどの異称からもうかがえる。
1734年(享保19)青木昆陽が江戸・小石川の薬園で試作し、普及の礎(いしずえ)をつくった。サツマイモは乾燥を好むため、耕地の乏しい海村や畑作地帯に進出していった。しかし、主食にはならず、飯の糧(かて)、間食、代用食などになるにすぎなかった。また腐りやすいので、乾燥芋や九州天草のコッパなどのように切干しにされることが多く、すりつぶしてかい餅にされたり、あるいは粉食にされ、そのほか羊かんや焼酎の原料にもなっている。江戸期には焼きいもが茶道の菓子に用いられた例もあるが、一般的には食糧が不足がちな人々の間で重宝され、調理法もさほど発達しなかった。第二次世界大戦中および戦後の食糧難の時代には多くの日本人が必要とし、そのつるまで食べたにもかかわらず、社会が安定してくるとほとんど見向きもされなくなった。その後は食料としての魅力が乏しくなって、デンプン源としての役割が大きくなったが、現在では斜陽作物の感がある。サトイモなどの日本在来のいもが、なんらかの農耕儀礼に彩られた栽培史をもつのに対し、サツマイモに伴う民俗は極端に乏しい。
[湯川洋司 2021年6月21日]