山田信道(読み)やまだ・のぶみち

朝日日本歴史人物事典 「山田信道」の解説

山田信道

没年:明治33.3.11(1900)
生年天保4.11.3(1833.12.13)
幕末勤王の志士。明治時代の官僚熊本城下井原家の3男として生まれる。初め井原十郎と称す。池田屋において新選組に殺された肥後藩士松田重助は兄に当たる。肥後勤王党に属して肥薩の間を往復し,藩論一致のため努力。文久2(1862)年京都警備の内勅を受けて公子長岡護美に従い上京。翌年の8月18日の政変により,七卿と共に長州に下る。元治1(1864)年肥後藩により逮捕され5年間拘禁。明治2(1869)年召されて弾正大疏から弾正少忠に任ぜらる。3年江刺県(岩手県)権知事。4年広沢真臣参議暗殺嫌疑により同年3月免官位記返上を命ぜられ,下獄。6年解かれて司法省に出仕。司法権少判事から判事に進み,足柄県(神奈川県)などの裁判所に在勤。14年鳥取県令になり,その後福島,大阪,京都知事を歴任し,29年男爵に叙せられた。30年農商務大臣。31年会計検査院長となった。<参考文献>伊喜見謙吉編・改訂『肥後藩国事史料』,武藤厳男編『肥後先哲偉蹟』

(佐々博雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田信道」の解説

山田信道 やまだ-のぶみち

1833-1900 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)4年11月3日生まれ。松田重助の弟。肥後熊本藩士。文久3年の八月十八日の政変にかかわり,5年間藩に拘禁される。維新後は判事などをへて福島県,大阪府,京都府の知事。第2次松方内閣の農商務相,会計検査院長をつとめた。明治33年3月11日死去。68歳。本姓は井原。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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