日本歴史地名大系 「山田光教寺跡」の解説 山田光教寺跡やまだこうきようじあと 石川県:加賀市山田村山田光教寺跡[現在地名]加賀市山田町西山田(にしやまだ)集落の北西、標高三七メートル前後の丘陵地にあり、寺跡内に光闡坊蓮誓の名称を継いだ光闡(こうせん)坊がある。越前吉崎(よしさき)(現福井県金津町)に留錫中の蓮如が文明六年(一四七四)前後に開創したという山田坊に、四男光闡坊蓮誓が同一八年頃江沼郡中として取立てられて入寺(正月二八日「御文」呉羽大徳寺文書)、光教寺と号した。蓮誓は京都南禅寺の喝食であったが、蓮如の吉崎下向に先立って隣接地の加島(かしま)(鹿島)に派遣され、ついで越中土山(どやま)坊(現富山県福光町)、加賀二俣本泉(ふたまたほんせん)寺を経て山田に移った。光専坊から光闡坊への改名は文明八年とされるが(年未詳一一月一八日「蓮如書状」龍谷大学所蔵文書)、翌九年山田坊が炎上したとの説がある(江沼郡誌)。文明末年、蓮如は光闡坊蓮誓に七高僧絵像を与えた(年未詳二月二八日「蓮如書状」善性寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報