20世紀日本人名事典 「山田喜久次郎」の解説 山田 喜久次郎ヤマダ キクジロウ 明治〜昭和期の興行師 生年安政6年1月1日(1859年) 没年昭和3(1928)年4月2日 出身地常陸国(茨城県) 旧姓(旧名)茂在 経歴東京・浅草六区の発展に努め、興行のほか実業界でも活躍した。また力士・常陸山の後援者として知られ、桃中軒雲右衛門や沢田正二郎の東京進出を援けた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田喜久次郎」の解説 山田喜久次郎 やまだ-きくじろう 1859-1928 明治-昭和時代前期の興行師。安政6年1月1日生まれ。根岸浜吉をたすけて東京浅草六区の発展につとめ,興行のほか実業界でも活躍。常陸山(ひたちやま)の後援者として知られ,桃中軒(とうちゅうけん)雲右衛門,沢田正二郎の東京進出をたすけた。昭和3年4月2日死去。70歳。常陸(茨城県)出身。旧姓は茂在(もざい)。通称は鉄砲喜久。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by