山田孝野次郎(読み)ヤマダ コノジロウ

20世紀日本人名事典 「山田孝野次郎」の解説

山田 孝野次郎
ヤマダ コノジロウ

昭和期の部落解放運動家



生年
明治39(1906)年2月25日

没年
昭和6(1931)年3月9日

出生地
奈良県南葛城郡掖上村字柏原(現・御所市)

別名
別名=次郎

学歴〔年〕
高等小学校〔大正11年〕卒

経歴
被差別部落出身である上、身長が低かったため、学校でひどく差別された。大正11年の全国水平社創立大会に参加し、自分の差別体験を語って参会者の感動を呼んだ。このため水平社の少年代表として有名になり、各地演説を行なった。12年からは各地の部落をまわって少年少女水平社の組織指導にあたった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田孝野次郎」の解説

山田孝野次郎 やまだ-このじろう

1906-1931 大正-昭和時代前期の部落解放運動家。
明治39年2月25日生まれ。大正11年全国水平社創立大会で自身の被差別体験をかたり,団結決起をうったえて参加者に感銘をあたえる。以後全国を遊説し,少年少女水平社を指導。昭和6年3月9日福岡の寄宿先で死去。26歳。全国水平社葬がいとなまれた。奈良県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山田孝野次郎」の解説

山田 孝野次郎 (やまだ このじろう)

生年月日:1906年2月25日
昭和時代の社会運動家
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android