被差別部落の人々が,差別と貧困からの解放を求めて,1922年に結成した自主的・大衆的な部落解放運動の団体。正式には全国水平社という。1918年の米騒動には多くの部落の人々が参加していたが,その後のデモクラシーの風潮の高まりと,労働者,農民などの社会運動の発展のなかで,部落の青年たちは,従来の恩恵的な部落改善政策や欺瞞(ぎまん)的な同情融和運動に批判的となり,社会主義思想の影響も受けて,みずからの努力と大衆的な団結の力をもって差別からの解放を実現しようとした。22年3月3日,京都の岡崎公会堂に各地から3000人が集まって全国水平社の創立大会を開き,綱領・宣言・決議などを採択した。西光万吉(さいこうまんきち)の起草した宣言(水平社宣言)は,水平社運動が人間の尊厳,自由・平等の理念にもとづいて一切の差別とたたかい,部落出身者だけでなくすべての人間の解放をめざすことを明らかにした。創立大会では南梅吉が委員長に選ばれたが,25年の第4回大会後は松本治一郎が長くその地位にあった。全国水平社の初期の運動は,部落差別の原因が人々の因襲的な観念にあると考え,これを打破するため,差別言動をおこなった団体・個人を徹底的に糾弾する方針をとった。この運動は多くの部落の人々を奮起させ,急速に運動が拡大するとともに,多くの府県の各部落に水平社が組織されていった。地方水平社の数は1922年に3府5県約60社であったが,23年末に3府27県300社,25年には703社と急増した。1923年に全国水平社青年同盟が結成され,運動の発展にともなって,部落差別は政治・経済・社会的関係に根ざすことが明らかにされ,部落の差別を存続させている社会組織そのものの糾弾へと向かうようになった。こうして水平社運動は行政や軍隊の差別を糾弾しつつ,労働者・農民の階級闘争との結合をはかろうとした。この方向に反対する右派の南梅吉らは1927年,別に日本水平社を組織した。また全国水平社内の左派は31年,他の急進的左翼団体との結束を強めて水平社解消論を唱えたが,この意見を克服すべく,33年第11回全国大会において部落委員会活動の方針が採用された。これは部落の劣悪な生活の実態を差別のあらわれととらえ,日常生活の諸問題をとりあげてたたかうなかで,労働者・農民のたたかいと結合しようとするものであった。身分闘争と階級闘争とを統一したこの新方針のもとで運動は,1933年の高松地方裁判所差別裁判糾弾闘争を契機に発展し,関係司法官の免職要求の成功をとおして,全国の部落の人々の60%を全国水平社の影響下に置くほどまでにいたり,組織も拡大した。しかし,37年7月に日中戦争が全面化するにしたがい,活動を続けることに困難さを増し,しだいに挙国一致政策に協力するようになり,40年の部落厚生皇民運動や大和報国運動,41年の同和奉公会に参加する者も出てきた。しかし,全国水平社の組織そのものは,言論出版集会結社等臨時取締法による届出をおこなわず,42年1月,自然解消の道を選んだ。太平洋戦争後の1946年2月,全国水平社の伝統を受けついで部落解放全国委員会が結成され,55年に部落解放同盟と改称した。
→部落解放運動 →被差別部落
執筆者:川村 善二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
第2次大戦前期の部落解放をめざす自主的・大衆的な運動団体。米騒動や労働運動の発展,民族自決・社会主義思想などの影響をうけて,1922年(大正11)3月全国水平社が結成された。創立大会では西光万吉(さいこうまんきち)の起草による水平社宣言を採択。初期は差別糾弾闘争を中心とし,全国的に支部が組織された。その後,階級闘争を重視して労働運動や農民運動との連帯を求める傾向が強まり,それに右派やアナーキストが反発して分裂状態となった。昭和前期,深刻な不況のもとで部落改善要求と身分闘争が重視され,反軍闘争などが広範に展開されるなかで左翼的傾向は弱まっていったが,戦時体制下でファシズムに転向する傾向も現れ,42年(昭和17)に解消した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…総連合組織形態をめぐってアナ派は自由連合,ボル派は中央集権を主張したが,結局大会は官憲によって流会させられ総連合運動は失敗に帰した。以後両派の対立・論争は他の社会運動の分野にもおよび,22年創立された全国水平社の運動では24年から25年にかけアナ・ボル両派の主導権争いが展開され,他の無産者運動と比べおくれて組織化されたプロレタリア婦人運動では28年を境にアナ・ボル両派の路線論争がおこなわれた。労働運動におけるアナの影響力は23年9月関東大震災での大杉殺害(甘粕事件)で大きく後退した。…
…統合はあらわな学校自体の差別の解消を意味するが,部落児童にとっては,統合は日常的な教員と級友による無数の直接的な差別との対面を意味する(その象徴は座席差別)。1922年創立の水平社が開始した差別糾弾闘争は,積年の差別・侮辱・迫害への怒りを〈てこ〉とする〈人間観奪還〉のたたかいであった。 教育立法の勅令主義に象徴されるように,客体としての国民=臣民が義務教育をとおして国家の政治意志を日常的に強制された第2次大戦前にあっては,部落民にとって,義務教育の拒否(盟休)は国家と教育への強力な意志表示であり,水平運動への参加は,そのまま教育=自己変革の過程となった。…
…初めての被差別部落に対するこの国家的措置が実現したのが,〈身分解放令〉の年から数えて実に半世紀も後のことであったのは,記憶するに値しよう。
[水平社の創立]
第1次世界大戦前後のこのような情勢下,民間では〈融和運動〉が各地で推進されていた。それの趣旨は,政府・地方官庁等が被差別部落の〈自粛〉を促す〈慈恵〉的措置を基本とするのに不満を表明し,〈人道主義〉の立場を強調して,〈官民一致〉の体制による差別の解消を広く国民に訴えていくというものであった。…
…被差別部落(同和地区)およびその出身者に対する差別の撤廃(部落問題の解決)すなわち被差別部落の完全解放をめざす自主的・大衆的な社会運動。その本格的な展開は1922年(大正11)に全国水平社(水平社)が創立されてからであるが,それ以前にも部落差別の解消・撤廃を求める動きはあった。解放運動の歩みと密接な関係をもつ被差別部落の全体的な歴史については〈被差別部落〉の項目を参照されたい。…
※「水平社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新