朝日日本歴史人物事典 「山科教言」の解説
山科教言
生年:嘉暦3.6.8(1328.7.15)
南北朝・室町時代の公卿。法名は常言。山科教行の子。貞和2/正平1(1346)年内蔵頭,延文4/正平14(1359)年従三位,永徳1/弘和1(1381)年参議,同3/同3年に正二位,康応1/元中6(1389)年に権中納言となる。明徳2/元中8(1391)年に辞任,応永2(1395)年に出家した。山科家が内蔵頭を世襲するようになるのはこの教言からである。晩年の日記『教言卿記』(1405~10)には,朝廷への御服の調進,音楽,家領の管理運営,供御人の統制など,山科家の家職・家政に関する記事のほかに,寵遇を受けた足利義満に関する記事がみられ,重要史料とされている。
(伊東正子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報