山科教言(読み)やましな・のりとき

朝日日本歴史人物事典 「山科教言」の解説

山科教言

没年:応永17.12.15(1411.1.9)
生年嘉暦3.6.8(1328.7.15)
南北朝室町時代公卿。法名は常言山科教行の子。貞和2/正平1(1346)年内蔵頭,延文4/正平14(1359)年従三位,永徳1/弘和1(1381)年参議,同3/同3年に正二位,康応1/元中6(1389)年に権中納言となる。明徳2/元中8(1391)年に辞任,応永2(1395)年に出家した。山科家が内蔵頭を世襲するようになるのはこの教言からである。晩年日記『教言卿記』(1405~10)には,朝廷への御服の調進,音楽,家領の管理運営,供御人の統制など,山科家の家職・家政に関する記事のほかに,寵遇を受けた足利義満に関する記事がみられ,重要史料とされている。

(伊東正子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科教言」の解説

山科教言 やましな-のりとき

1328-1411* 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう)。
嘉暦(かりゃく)3年6月8日生まれ。山科教行(のりゆき)の子。内蔵頭(くらのかみ),参議などをへて康応元=元中6年権(ごんの)中納言となる。正二位。のち出家して禅宗に帰依した。また足利将軍家と親交があった。日記に「教言卿記」がある。応永17年12月15日死去。83歳。法名は常言。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山科教言」の解説

山科教言 (やましなのりとき)

生年月日:1328年6月8日
南北朝時代;室町時代の公卿
1411年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android