山科教言(読み)やましな のりとき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科教言」の解説

山科教言 やましな-のりとき

1328-1411* 南北朝-室町時代公卿(くぎょう)。
嘉暦(かりゃく)3年6月8日生まれ。山科教行(のりゆき)の子。内蔵頭(くらのかみ),参議などをへて康応元=元中6年権(ごんの)中納言となる。正二位。のち出家して禅宗に帰依した。また足利将軍家と親交があった。日記に「教言卿記」がある。応永17年12月15日死去。83歳。法名は常言

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367日誕生日大事典 「山科教言」の解説

山科教言 (やましなのりとき)

生年月日:1328年6月8日
南北朝時代;室町時代の公卿
1411年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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