デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科李蹊」の解説 山科李蹊 やましな-りけい 1702-1747 江戸時代中期の医師。元禄(げんろく)15年生まれ。山科広安の子。代々朝廷の侍医で,法印となり,仙寿院と号した。また墨竹画にすぐれ,平安四竹のひとりといわれた。延享4年8月8日死去。46歳。京都出身。名は元富。字(あざな)は子潤。通称は宗安。著作に「幼科秘伝口訣」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「山科李蹊」の解説 山科李蹊 (やましなりけい) 生年月日:1702年1月4日江戸時代中期の医師1747年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報