山見八ヶ用水
やまみはつかようすい
近代までは新用水の一分派であった灌漑用水。現在は南礪用水から取水し、井波町の市街地北部から山見・戸板・沖を流れる。近世に山見村と北川・高瀬・戸板・北市・今里・川原崎・沖、三清(現福野町)の八ヵ村を灌漑したのでこの名がある。水路は八乙女山北麓台地の標高一五〇―一〇〇メートルの等高線をたどり、漏水が多く通水量が不安定で、貧乏用水とも称された。
寛延二年(一七四九)の新用水・二万石用水合口詮議覚(二万石用水史料)に用水名がみえ、寛永七年(一六三〇)に新用水に編入されたとあるので、これ以前に開削されていたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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