日本歴史地名大系 「井波町」の解説
井波町
いなみまち
礪波平野の南東部、
越中に入った前田利家は天正一五年四月一八日、井波の「畠方千四百余」を給人地から直轄領にもどし、井波村百姓らに開作を命じている(「前田利家印判状写」井波町肝煎文書)。前田利勝(利長)は、文禄三年(一五九四)一一月二八日井波大工一〇人に屋敷地を与え(「井波大工居屋敷扶持状」越中古文書)、慶長四年(一五九九)一一月には井波の鍛冶四人に屋敷を与えて保護しており(「城端町・井波町屋敷拝領鍛冶書上」同文書)、この頃から井波町の本格的な復興が始まり、同一八年には現在地に再建された瑞泉寺を中心に町場の復旧が進んだとみられる。明暦年中(一六五五―五八)には瑞泉寺門前(北側)正面通りを
井波町
いなみまち
- 富山県:東礪波郡
- 井波町
県南西部に位置し、北は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報