山辺城跡(読み)やまべじようあと

日本歴史地名大系 「山辺城跡」の解説

山辺城跡
やまべじようあと

[現在地名]能勢町山辺

下山辺しもやまべにあって、大町氏の居城と伝える。鷹爪たかつめ城ともいう。標高四三三メートル・比高二一〇メートル余の鷹爪山の山頂に位置する峻険な山城で、池田街道(丹州街道)眼下に望む。山頂は二つの峰よりなり、北の峰に一ノ丸、次いで二ノ丸があり、南の峰が三ノ丸となり、現在も数ヵ所に石組・石垣の遺構を残す。天文年間(一五三二―五五)にはこの地の領主大町宗長の居城であったが、天正七年(一五七九)八月、織田信長の北摂侵入によって織田信澄・塩川国満の軍勢の攻撃を受け、宗清は弟宗治とともに抗戦したが敗死し、廃城になったという(大阪府全志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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