日本歴史地名大系 「山辺御県坐神社」の解説 山辺御県坐神社やまべのみあがたにいますじんじや 奈良県:天理市二階堂地区東井戸堂村・西井戸堂村山辺御県坐神社[現在地名]天理市西井戸堂町大門中(なか)ツ道に面して鎮座。祭神山辺御県神。旧村社。「大和志」は「延喜式」神名帳山辺郡の「山辺御県坐神社大、月次新嘗」に比定するが、天理市別所(べつしよ)町にも同名社がある。山辺御県は「延喜式」祝詞にみえる古代皇室料である大和六県の一で、当社を中心として現天理市には西井戸堂(にしいどどう)町にアカタ、合場(あいば)町に北田部(きたたべ)・南田部、吉田(よしだ)町にミクリ、富堂(とみどう)町に三宅(みやけ)、東井戸堂町にアカタの小字や、田(た)町・田井之庄(たいのしよう)町・田部(たべ)町があり、この一帯に山辺御県が存在した可能性が大きい。山辺御県坐神社はその守護神と考えられ、天平二年(七三〇)神戸の租稲二七二束のうち四束が祭神料にあてられ(「大倭国正税帳」正倉院文書)、大同元年(八〇六)大和国に神封二戸を有し(新抄格勅符抄)、天安三年(八五九)一月二七日に従五位下より従五位上に進叙(三代実録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by