山野茂樹(読み)やまの・しげき

朝日日本歴史人物事典 「山野茂樹」の解説

山野茂樹

没年:明治15(1882)
生年:文政6(1823)
幕末維新期の弘前(津軽)藩士。弘前生まれ。名は元敏。初め主馬と称した。弘前藩の藩校稽古館の総司を務め,用人,参政歴任戊辰戦争においては奥羽鎮撫総督府に使者として赴くなど,対外折衝に活躍。維新後,100俵を給され,正小参事に任じられた。廃藩後は,養蚕振興など士族授産の事業に尽力し,明治政府が実施した第1回の洋種果樹配布のうち,りんごの試植苗を受けたひとりであった。第2回,3回にもりんご苗の配布を受け,明治10(1877)年,りんごの初の結実に成功した人物として知られる。

(長谷川成一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山野茂樹」の解説

山野茂樹 やまの-しげき

1823-1882 幕末-明治時代の武士,殖産家。
文政6年1月10日生まれ。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争では奥羽鎮撫総督府への使者をつとめる。明治2年少参事となる。8年リンゴの試植苗の配布をうけ,10年初の結実に成功。養蚕,養豚などの士族授産事業にもつくした。明治15年9月19日死去。60歳。名は元敏。通称ははじめ主馬(しゅめ)。

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