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杉亨二 すぎこうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

杉亨二
すぎこうじ

[生]文政11(1828).10.10. 長崎
[没]1917.12.4. 東京
日本統計学の開祖。幕末に医学や蘭学を学び,オランダの雑誌などによりヨーロッパの統計学を学んだ。明治初期に現在の国勢調査に相当する政表調査の必要を説き,「駿河国沼津政表」などを作成した。

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百科事典マイペディアの解説

杉亨二【すぎこうじ】

日本の統計学の先覚者。長崎出身。1860年,江戸幕府が江戸九段坂下に開設した洋学研究及び外交文書の翻訳機関である蕃書調所(ばんしょしらべしょ)に出仕,オランダ等の統計学に接した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

杉亨二 すぎ-こうじ

1828-1917 幕末-明治時代の統計学者。
文政11年10月10日生まれ。蘭学をまなび,幕府の蕃書調所の教官となり,西洋統計学を独学。維新後,新政府の統計院大書記官などをつとめ,明治5年日本最初の官製統計年鑑「辛未(しんび)政表」,15年初の人口調査「甲斐国(かいのくに)現在人別調」をまとめた。明六社社員として啓蒙活動にあたった。大正6年12月4日死去。90歳。肥前長崎出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

杉亨二

没年:大正6.12.4(1917)
生年:文政11.10.10(1828.11.16)
明治期に日本の統計の基礎を築いた先覚者。長崎生まれ。苦学して幕末に幕府の開成所の教授となり,オランダの『スタチスチック』(統計)を読んで大いに興味を持つ。明治4(1871)年12月太政官正院に置かれた政表課(内閣統計局の前身)の大主記(課長)となり,「辛未政表」(統計年鑑の起こり)を編纂する。12年に行った『甲斐国現在人別調』は初の本格的な人口調査であり,18年官を辞したのちも,国勢調査の実現に努力した。また9年,表記学社(のちの統計学社)を結成して統計の研究と普及に努め,16年には共立統計学校を設立して多くの後輩を育てた。<参考文献>『杉亨二自叙伝

(永山貞則)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

すぎこうじ【杉亨二】

1828‐1917(文政11‐大正6)
日本における近代統計の先駆者。長崎に生まれる。孤児のような境遇のなかで,苦労してオランダ語フランス語を学ぶ。オランダの書物から統計の存在を知り,その重要さを認識する。勝海舟の門人となり幕府に仕え,後に明治政府に招かれる。日本における官庁統計の創設に貢献するとともに,その普及にも大いに努力した。とくに1879年に行ったセンサス甲斐国現在人口調べ〉は,日本における最初の近代的人口調査として重要な意味をもつ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杉亨二
すぎこうじ
(1828―1917)

日本の統計学・統計業務の先駆。長崎の生まれ。緒方洪庵(おがたこうあん)、坪井信良(1823―1904)、杉田成卿(せいけい)らの塾でオランダ語・フランス語を学び、多くの洋学者と知り合った。勝海舟(かつかいしゅう)の勧めで幕府に出仕し、やがて開成所教授職となり、ここで西洋に統計学のあることを知り独習。明治維新後は静岡に移住、1869年(明治2)同藩の人口調査に着手、また沼津兵学校教官となる。翌1870年から政府に出仕して統計業務に従事、日本最初の官製統計書『辛未政表』(1872)や『甲斐国現在人別調(かいのくにげんざいにんべつしらべ)』(1882)などを編集。1881年(明治14)統計院大書記官となり、『第一統計年鑑』も1882年に刊行した。一方、スタチスチック社(のち統計学社と改称)を創設して『スタチスチック雑誌』を発行し、統計学の研究普及に努めた。また東京の九段に共立統計学校を創立し、後進の指導育成にあたるなどした。後年、両眼とも失明したが、国勢調査準備委員などとして活躍、日本の統計学の基礎を築いた。[菊池俊彦]

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世界大百科事典内の杉亨二の言及

【統計】より

…これが81年には統計院となり,85年内閣制度の発足とともに内閣統計局となった。この間,杉亨二(すぎこうじ)や呉文聡(くれあやとし)(1851‐1918)が果たした役割には大きなものがある。こうして1920年には初めて国勢調査が行われるなど,しだいに統計が整備されたが,第2次大戦中に制度はほとんど解体し,政府自身信頼できる数字が得られなくなった。…

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