日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉亨二」の意味・わかりやすい解説
杉亨二
すぎこうじ
(1828―1917)
日本の統計学・統計業務の先駆。長崎の生まれ。緒方洪庵(おがたこうあん)、坪井信良(1823―1904)、杉田成卿(せいけい)らの塾でオランダ語・フランス語を学び、多くの洋学者と知り合った。勝海舟(かつかいしゅう)の勧めで幕府に出仕し、やがて開成所教授職となり、ここで西洋に統計学のあることを知り独習。明治維新後は静岡に移住、1869年(明治2)同藩の人口調査に着手、また沼津兵学校教官となる。翌1870年から政府に出仕して統計業務に従事、日本最初の官製統計書『辛未政表』(1872)や『甲斐国現在人別調(かいのくにげんざいにんべつしらべ)』(1882)などを編集。1881年(明治14)統計院大書記官となり、『第一統計年鑑』も1882年に刊行した。一方、スタチスチック社(のち統計学社と改称)を創設して『スタチスチック雑誌』を発行し、統計学の研究普及に努めた。また東京の九段に共立統計学校を創立し、後進の指導育成にあたるなどした。後年、両眼とも失明したが、国勢調査準備委員などとして活躍、日本の統計学の基礎を築いた。
[菊池俊彦]