日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡山藩学校」の意味・わかりやすい解説
岡山藩学校
おかやまはんがっこう
好学の岡山藩主池田光政(みつまさ)が、儒教の仁政理念を藩政に徹底させるため、家臣熊沢蕃山(くまざわばんざん)の意を受けて藩士子弟の修学機関として近世初期に岡山城下に設置した藩校。前身は城下近郊の上道(じょうとう)郡花畠(はなばたけ)に1641年(寛永18)に開かれた陽明学の花畠教場。66年(寛文6)城内の石山に仮学館を新築して諸生を移したが、69年閏(うるう)10月、城下西中山下に本格的な藩校が開設された。学校職員には奉行(ぶぎょう)、奉行添役(そえやく)各1名のほか講釈役、演武教師、授読師などがおり、学科目は儒学(「純粋朱説」)、礼楽、習字、武芸などで、毎年2月に孔子を祀(まつ)る釈菜(せきさい)が執行された。1871年(明治4)に廃止され、遺構として泮池(はんち)(国指定史跡)が残存する。
[谷口澄夫]
『岡山県教育会編『岡山県教育史 上巻』(1937・岡山県)』