岡市之助(読み)オカ イチノスケ

20世紀日本人名事典 「岡市之助」の解説

岡 市之助
オカ イチノスケ

明治・大正期の陸軍中将,男爵 陸相



生年
安政7年3月7日(1860年)

没年
大正5(1916)年7月30日

出生地
長門国萩(山口県萩市)

学歴〔年〕
陸士(旧4期)〔明治14年〕卒,陸大〔明治20年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等

経歴
明治27年日清戦争に第1師団参謀として従軍、次いで北清事変(義和団の乱)、日露戦争にも参加。大正元年中将、2年第3師団長、3年大隈内閣の陸相となり、朝鮮に2個師団設置を実現。男爵。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岡市之助」の解説

岡 市之助
オカ イチノスケ


肩書
陸相

生年月日
万延1年3月7日(1860年)

出生地
長門国萩(山口県萩市)

学歴
陸士(旧4期)〔明治14年〕卒 陸大〔明治20年〕卒

経歴
明治27年日清戦争に第1師団参謀として従軍、次いで北清事変(義和団の乱)、日露戦争にも参加。大正元年中将、2年第3師団長、3年大隈内閣の陸相となり、朝鮮に2個師団設置を実現。男爵。

受賞
勲一等

没年月日
大正5年7月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「岡市之助」の解説

岡市之助

没年:大正5.7.20(1916)
生年:万延1.3.7(1860.3.28)
明治大正期の陸軍軍人。長州藩士の次男として萩(萩市)に生まれる。明治21(1888)年陸軍大学校卒。日露戦争後,長州閥を主流とする陸軍軍政系統の中枢を歩む。陸軍大臣寺内正毅の下で軍務局長を務める。次官在任中の45年中将に進む。官僚閥,政友会,陸軍,海軍の対立激化のなか,大正2(1913)年,第1次山本権兵衛内閣のとき,陸軍の主張である「軍部大臣現役武官制の維持」と2個師団増設の実現をめざしたが失敗,次官を辞職。第2次大隈重信内閣では,陸大卒としては初の陸相となる。陸軍内部で人事,増師問題,対中国政策をめぐり寺内,上原勇作,田中義一,中堅層ら諸勢力が複雑に対立し,その板ばさみに苦しみ,病気により大臣を辞任。<参考文献>北岡伸一『日本陸軍と大陸政策』,大久保利謙他編『日本歴史大系4/近代Ⅰ』

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡市之助」の解説

岡市之助 おか-いちのすけ

1860-1916 明治-大正時代の軍人。
安政7年3月7日生まれ。日清(にっしん)戦争についで,北清事変(義和団の乱),日露戦争で戦功をたて,大正元年陸軍中将となる。翌年,第三師団長。3年第2次大隈内閣の陸相。2個師団増設を実現させた。大正5年7月20日死去。57歳。長門(ながと)(山口県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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