新撰 芸能人物事典 明治~平成 「岡本宮古太夫」の解説 岡本 宮古太夫(2代目)オカモト ミヤコダユウ 職業新内節太夫 肩書新内節・岡本派家元 本名本間 広吉 別名初名=富士松 可女太夫 生年月日明治13年 経歴初め富士松可女太夫を名乗る。8代目富士松加賀太夫に師事。明治、大正時代の巧みな語り手として名をあげ、岡本派の家元、初代宮古太夫の後を継いだ。 没年月日大正14年 1月14日 (1925年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本宮古太夫」の解説 岡本宮古太夫(初代) おかもと-みやこだゆう 1770-1852 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。明和7年生まれ。岡本派の祖。文化7年鶴賀派からわかれ,はじめ美家古太夫と称した。新内節の名手として知られた。嘉永(かえい)5年7月7日死去。83歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。名は安蔵。初名は鶴賀八尾太夫。 岡本宮古太夫(2代) おかもと-みやこだゆう 1880-1925 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。明治13年生まれ。新内節。8代富士松加賀太夫の門にまなぶ。のち2代を襲名。大正14年1月14日死去。46歳。本名は本間広吉。初名は富士松可女太夫。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by