岡田佐平治(読み)おかだ さへいじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田佐平治」の解説

岡田佐平治 おかだ-さへいじ

1812-1878 幕末-明治時代の農村指導者。
文化9年7月10日生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)佐野郡倉真(くらみ)村の代々庄屋をつとめた豪農で,15歳で家をつぐ。二宮尊徳報徳思想安居院(あごいん)庄七にまなび,荒地開墾,窮民救済につくした。明治8年遠江国報徳社を設立,初代社長となった。明治11年3月3日死去。67歳。名は清忠。号は無息軒。

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367日誕生日大事典 「岡田佐平治」の解説

岡田 佐平治 (おかだ さへいじ)

生年月日:1812年7月10日
江戸時代;明治時代の農政家
1878年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岡田佐平治の言及

【岡田良一郎】より

…明治時代の報徳運動指導者。遠江国佐野郡倉真村(現,静岡県掛川市)に生まれる。父佐平治は二宮尊徳の門人として,嘉永年間(1848‐54)より報徳結社の普及に活躍,良一郎も1854年尊徳の門に入り,のちいわゆる尊徳門下の四天王の一人となった。彼は報徳運動推進のかたわら地方政治にかかわり,また殖産興業にも挺身した。92年日本最初の信用組合である掛川信用組合を創設し,産業組合法制定の端緒を開いた。75年父佐平治により遠江国報徳社が設立され,のち良一郎が社長となり全国各地に多数の支社を設け,1911年大日本報徳社と改称,社長となった。…

【報徳社】より

…報徳仕法とは,前述のような報徳の教えを実践することを意味し,尊徳が難村立直しの経験とその過程で自得した生活技術を基礎に,これを社会に適用しようとする一種の農村計画であった。 幕末期における報徳社の活動は,時勢に適合するところが多く,東海地方を中心に相模,甲斐,伊勢,河内など各地の農村に深く浸透するにいたったが,とくに遠州地方では,1847年(弘化4)安居院(あぐい)義道が報徳仕法に基づき一社を組織したのを契機に,その後岡田佐平治ら同地方の地主層の指導のもとに,漸次その組織を拡大していった。尊徳には多くの門人が存したが,著名な人物として富田高慶,斎藤高行,福住正兄,岡田良一郎(佐平治の子)らがあげられる。…

※「岡田佐平治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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