岡田普理衛(読み)オカダ フリエ

20世紀日本人名事典 「岡田普理衛」の解説

岡田 普理衛
オカダ フリエ

昭和期の神父 当別トラピスト修道院院長。



生年
安政6年11月14日(1859年)

没年
昭和22(1947)年7月1日

出生地
フランスノルマンディー

本名
フランソワ・プーリエ(Francois Peuillier)

学歴〔年〕
バユー大神学校卒

経歴
バユー大神学校に学んだのち、ブリックベック修道院司祭や副院長を務める。明治30年日本でトラピスト修道院が設立されることなり、招かれて北海道の当別トラピスト修道院の初代院長に就任。31年には終身院長に選ばれ、33年には信徒である岡田初太郎の養子となって日本に帰化。以後、全生涯を日本での伝道に捧げ、身寄りのない子供を修道院に収容して育てたほか、荒れ地の開拓・開墾植林を進めるなど広く社会のために貢献した。また、院の経営や孤児の社会復帰を助けるために、ホルスタイン種の乳牛を輸入して酪農及び乳製品の製造を開始。特に、バターとバター飴は今日でも同院の名産品として知られ、近隣の酪農スタイルの変化に大きな影響を与えた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田普理衛」の解説

岡田普理衛 おかだ-ふりえ

1859-1947 フランスの神父。
1859年11月14日生まれ。明治30年(1897)北海道の当別トラピスト修道院の初代院長として来日。翌年終身院長となる。33年日本に帰化。ホルスタイン種乳牛を輸入し,酪農の普及発展につくした。昭和22年7月1日死去。89歳。ノルマンディー出身。バユー大神学校卒。旧名はフランソワ=プーリエ(Fran■字3195■ois Peuillier)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android