20世紀日本人名事典 「岡田磐」の解説 岡田 磐オカダ イワオ 明治・大正期の官吏 岡山市長。 生年嘉永6年5月6日(1853年) 没年昭和2(1927)年2月17日 出生地備前国都宇郡撫川村(岡山県岡山市) 経歴犬飼松窓の塾に学び、のちの政治家・総理大臣犬養毅とは同門。明治6年小田県庁に出仕し、小田県が岡山県となった後は警察官僚として警部・津山署長・巡査教習所長・警察部警務課長などを歴任した。33年苫田郡長に転じるが、間もなく岡山県庁を退職し、35年周囲に推されて岡山市長に就任。3期16年にわたる在任期間中、上水道工事・岡山商業補習学校の創立・衛生試験所の開設・屎尿くみ取りの市営化などを実施し、大いに治績を上げた。市長退任後、岡山県農工銀行頭取を務める傍ら、漢詩文に遊んだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田磐」の解説 岡田磐 おかだ-いわお 1853-1927 明治-大正時代の官吏。嘉永(かえい)6年5月6日生まれ。明治11年岡山県警部となり,津山署長,岡山署長を歴任。35年岡山市長。大正14年岡山県農工銀行頭取。昭和2年2月17日死去。75歳。備中(岡山県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by