岡部藩陣屋跡(読み)おかべはんじんやあと

日本歴史地名大系 「岡部藩陣屋跡」の解説

岡部藩陣屋跡
おかべはんじんやあと

[現在地名]岡部町岡部

国道一七号の南側にあった安部家の陣屋。中山道分間延絵図では、街道南側に安部摂津守陣屋として描かれる。安部氏はもと駿河国安部あべ(現静岡市)の土豪で今川義元に仕えた。のち徳川家康の家臣となった安部信勝は、天正一八年(一五九〇)の家康関東入国後に武蔵国榛沢はんざわ郡・下野国梁田やなだ郡の内で五千二五〇石余を宛行われ(寛政重修諸家譜)、陣屋の設置はこの頃とみられる。信勝の跡を継いだ信盛は寛永一三年(一六三六)三河八名やな郡内で四千石、慶安二年(一六四九)摂津国豊島てしま能勢のせ(現大阪府)川辺かわべ有馬ありま(現兵庫県)の四郡のうちで一万石を加増され、総石高一万九千二五〇石となって大名格に列した。安部氏の知行高は、寛文二年(一六六二)などの兄弟間の分知や同八年などの加増を経て、元禄一四年(一七〇一)に二万二五〇石となって以後変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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