日本歴史地名大系 「岡部村」の解説
岡部村
おかべむら
阿武隈川右岸の低位沖積段丘面上に立地し、対岸は
文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高九三六石余。近世初期の邑鑑によると免二ツ七分、家数三〇(役家一三、肝煎四、職人・寺・脇家一三)、人数七一、役木として桑・楮各少しがある。米沢藩領時代の古高一千四〇八石余、幕府検地による新高一千一四六石余(古高新高帳)。領主の変遷は
岡部村
おかべむら
現岡部町北東端に位置し、
岡部村
おかべむら
東は柴田村に続き、田圃を隔てて北に
天和三年(一六八三)の広須御新田所図に村名が「野崎」とだけみえる。村名改称并新村創立調(八木橋文庫蔵)によれば、享保一一年(一七二六)これまでの
岡部村
おかべむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報