コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

岡部長常 おかべ ながつね

2件 の用語解説(岡部長常の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡部長常 おかべ-ながつね

1825-1867* 江戸時代後期の武士。
文政8年生まれ。幕臣。安政4年から文久元年まで長崎奉行をつとめ,居留地の拡張,踏み絵の廃止,病院の建設,英語伝習所の設立などに尽力した。のち外国奉行,大目付などをつとめた。慶応2年12月1日死去。42歳。本姓は太田。通称は彦十郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

岡部長常

没年:慶応2.12.1(1867.1.6)
生年:文政8(1825)
幕末の幕臣。太田運八郎の子,岡部氏の養嗣。将軍徳川家慶・家定の小姓を務め,嘉永6(1813)年使番。安政1(1854)年西丸目付となり,翌年目付に就く。安政大地震のとき,江戸城内を冷静に指揮し混乱を最小限に抑えたという。同3年海防掛として長崎に赴任。赴任に際し,はじめて妻子随伴が認められる。帰府後長崎奉行に累進。5年,日蘭通商条約交渉のほか,飽之浦製鉄所建設,英語伝習所設立などに努力。またオランダ人医師ポンペ松本良順の意見を容れ,長崎養生所開設,死体解剖,コレラ防疫など医学の普及に深い理解を示す。文久1(1861)年外国奉行,同2年大目付,道中奉行,翌3年幕政の改革気運のなかで将軍徳川家茂上洛御用を務めて供奉,のち作事奉行。元治1(1864)年神奈川奉行,次いで鎗奉行,さらに慶応1(1865)年軍艦奉行となる。ポンペは長常を「日本人の中における文明人」と評した。<参考文献>「幕府名士小伝」(『旧幕府』1巻2号),『長崎県人物史』

(岩壁義光)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

岡部長常の関連キーワード堀利堅太田雪岳福岡敬堂岸和田歌橋岡部長寛岡部長発志賀金八郎

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone