日本歴史地名大系 「岩井川村」の解説
岩井川村
いわいがわむら
寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高一六五石余。日向国覚書には岩井河村とあり、同高。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚によると内検高一九一石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳によると本田高一八七石余・新田高一七石余(うち改出七石余)。明治二年(一八六九)の竈数石高人別調帳によれば本田高に変化はなく、新田高二七石余。
岩井川村
いわいかわむら
雄物川の支流
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に手倉川原のうち岩井川とあり、高の記載はない。享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)には「元禄岩井川村、但誤而新田出、其外諸帳不出」とある。
享保八年の雄勝郡郡村本村支村御高共調帳(秋田県庁蔵)によれば、高は本田一三六石八斗六升四合、新田一五一石九斗六合、合計二八八石七斗七升(当高二四六石二升三合)。家数は二〇軒で、支郷に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報