岩井川村(読み)いわいがわむら

日本歴史地名大系 「岩井川村」の解説

岩井川村
いわいがわむら

[現在地名]日之影町岩井川

分城わけじよう村の北西に位置し、西は向山むこうやま(現高千穂町)、南は七ッ山ななつやま(現諸塚村)。七ッ山村とは山越え往還で結ばれていた。高千穂一八ヵ郷の一。正平五年(一三五〇)一〇月二一日の芝原性虎去文(阿蘇文書)によると、芝原性虎は南朝方に属し、恩賞として与えられた三田井郷地頭職のうち「大人山内やとのむら」などを契約により恵良筑後守(阿蘇惟澄)に渡しているが、これは当地大人おおひとと思われる。

寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高一六五石余。日向国覚書には岩井河村とあり、同高。万治四年(一六六一)延岡藩村高内検高覚によると内検高一九一石余。延享四年(一七四七)延岡藩領郷村高帳によると本田高一八七石余・新田高一七石余(うち改出七石余)。明治二年(一八六九)竈数石高人別調帳によれば本田高に変化はなく、新田高二七石余。


岩井川村
いわいかわむら

[現在地名]東成瀬村岩井川

雄物川の支流成瀬なるせ川沿いの脇街道に街村状に発達。北流する成瀬川は当村の南で流れを西に変える。東は仙台藩領胆沢いさわ尿前しとまえ(現岩手県胆沢郡胆沢町)、北は平鹿ひらか横手山内よこてさんない村のうち三又みつまた村、南は手倉川原てぐらかわら村、西は田子内たごない村に接する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に手倉川原のうち岩井川とあり、高の記載はない。享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)には「元禄岩井川村、但誤新田出、其外諸帳不出」とある。

享保八年の雄勝郡郡村本村支村御高共調帳(秋田県庁蔵)によれば、高は本田一三六石八斗六升四合、新田一五一石九斗六合、合計二八八石七斗七升(当高二四六石二升三合)。家数は二〇軒で、支郷に上野うわの村一八軒、ひがし村二七軒、城下じようか村一二軒、馬場ばば村一軒、柳沢やなぎさわ村三軒、入道森にゆうどうもり村九軒があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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