日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿蘇惟澄」の意味・わかりやすい解説
阿蘇惟澄
あそこれずみ
(?―1364)
南北朝期の武将。阿蘇大宮司。通称恵良(えら)小次郎。惟景あるいは惟国の子というが不分明。惟時の女婿。元弘(げんこう)の変(1331)以来終始南朝方として参戦。菊池武光(きくちたけみつ)の菊池家惣領(そうりょう)就任を助け、懐良親王西下後はその信を得て益城(ましき)、八代(やつしろ)など肥後南部で活躍。1345年(興国6・貞和1)には守富荘(もりとみのしょう)地頭職などに加え砥用山(ともちやま)、矢部山(やべやま)を安堵(あんど)され、1348年(正平3・貞和4)には筑後権守(ちくごごんのかみ)、翌1349年には日向国吏務職(ひゅうがのくにりむしき)に補せられ、1361年(正平16・康安1)には大宮司に就任した。しかし南朝方にたっての歴戦も、菊池氏の下風にたたざるをえず、守護大名化の方向には結び付かず、不満を残しつつ正平(しょうへい)19年(貞治3)に病没した。
[工藤敬一]