岩出山城(読み)いわでやまじょう

日本の城がわかる事典 「岩出山城」の解説

いわでやまじょう【岩出山城】

宮城県大崎市にあった戦国時代の山城(やまじろ)で、江戸時代には仙台藩21要害の一つとされた。南北朝時代に足利氏一門で奥州探題大崎氏の家臣である氏家氏が築き、居城としていた城である。1590年(天正18)の豊臣秀吉による奥州仕置後、旧葛西・大崎両郡を所領とした秀吉家臣の木村吉清・清久父子の属城となったが、その直後、秀吉に改易させられた葛西・大崎氏の旧臣による大規模な一揆葛西大崎一揆)が起こる。この反乱は蒲生氏郷(がもううじさと)、伊達政宗(まさむね)らにより鎮圧されたが、政宗はこの一揆への関与・扇動を疑われ、翌1591年(天正19)、米沢から旧葛西・大崎領への移封を命じられた。このころ、旧葛西・大崎両郡の検地を行っていた徳川家康が岩出山城の建物や縄張りの修築を行い、伊達政宗に引き渡したといわれる。一説に、それまで岩手沢城と呼ばれていたが、このとき岩出山城と改名されたという(命名は家康ともいわれている)。政宗は1603年(慶長8)、新しく建設した仙台城(仙台市青葉区)に移るまで、この城を居城とした。政宗の仙台城移住後、この城は支城として残されて政宗の四男宗泰が入り、以後明治維新まで宗泰を初代とする岩出山伊達氏が居城とした(江戸時代初めの一国一城令後は、岩出山要害と呼ばれた)。現在、城跡城山公園、岩出山高校、岩出山小学校の敷地になっている。城の建物は1876年(明治9)の火災により失われてしまったが、曲輪(くるわ)・土塁・空堀跡、庭園が良好な状態で残されている。このほか園内には、江戸時代に設立された旧仙台藩の藩校の一つの有備(ゆうび)館の遺構、1962年(昭和37)に仙台城から移設された伊達政宗像(平和像)がある。JR陸羽東線有備館駅下車、徒歩10分。または、岩出山駅下車、徒歩15分。◇岩出山要害、岩出沢城、臥牛城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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