岩松満純(読み)いわまつ・みつずみ

朝日日本歴史人物事典 「岩松満純」の解説

岩松満純

没年:応永24.閏5.13(1417.6.27)
生年:生年不詳
室町時代武将上野国(群馬県)新田荘領主。満国の子。治部大輔新田義宗遺児で満国の養子になったとの説もある。犬懸上杉氏憲(禅秀)の娘を妻としていた関係で,応永23(1416)年に氏憲が鎌倉クーデタを起こした際にはこれに加担して活躍。このとき,自らの戦功を誇って周囲の恨みを買ったという。翌24年1月に室町幕府軍に攻められて氏憲が滅亡すると,逃亡し新田荘で蜂起したが,舞木持広と戦って捕らえられ,鎌倉で斬首された。

(山田邦明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩松満純」の解説

岩松満純 いわまつ-みつずみ

?-1417 室町時代の武将。
新田義宗の子。母方の叔父岩松満国の跡をつぎ,上野(こうずけ)(群馬県)新田荘の国人領主。応永23年舅(しゅうと)の上杉禅秀の乱にくわわり鎌倉公方(くぼう)足利持氏(もちうじ)らを敗走させるが,のち持氏方の反撃にあう。翌24年,上野の国人舞木持広に敗れ,閏(うるう)5月13日鎌倉できられた。幼名は容辻王丸。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の岩松満純の言及

【岩松氏】より

…14世紀中葉には,岩松頼宥は備後国で足利尊氏方の侍大将として活躍した。1417年(応永24)上杉禅秀の乱において,岩松満純は,上杉禅秀に味方して滅亡する。岩松氏はまもなく再建されるが,礼部・京兆二家に分かれ,享徳の乱の過程で後者は滅亡し,前者の岩松尚純・昌純も,16世紀中葉には,家臣の横瀬(由良)氏に実権を奪われる。…

【上野国】より

…その実力は,上杉禅秀の乱,永享の乱,結城合戦などで発揮され,ついに鎌倉公方足利持氏を打倒する。禅秀の乱は山内,犬懸両上杉氏の内部抗争であるが,新田岩松満純は犬懸上杉氏憲(禅秀)に味方して誅殺されてしまう。1454年(享徳3)再興された鎌倉公方足利成氏は上杉憲忠を誅殺し,ここに公方・管領をそれぞれの頂点として,関東の諸勢力は二つに分かれて相争う(享徳の乱)。…

※「岩松満純」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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