日本歴史地名大系 「岩栖院跡」の解説 岩栖院跡がんせいいんあと 京都市:東山区祇園廻り高台寺門前町岩栖院跡[現在地名]東山区下河原町高台(こうだい)寺建立以前に同地にあった寺。「京都府地誌」に「廃岩栖院」として「開基僧村庵ニシテ、布地ハ細川満元寄捨ス。(中略)応仁乱ニ烏有トナル。後世、南禅寺ニ再転。其址今ニ存ス」と記される。応永三三年(一四二六)一〇月、細川満元が東山に創立、臨済宗に付したもので満元の法名をとって岩栖院と称した。応仁の兵火に焼かれたが満元の子孫仁栄が再興した(幻居山人随筆)。慶長一〇年(一六〇五)、高台寺の建営に際して京極(きようごく)の北(現京都市中京区)に移り、次いで京都南禅寺塔頭雲門(うんもん)院内に再転し、同寺の塔頭となった。「京羽二重織留」(元禄二年刊)に「細川満元入道道悦の建立する所、岩栖院、始此山にあり」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by