岩永省一(読み)イワナガ ショウイチ

20世紀日本人名事典 「岩永省一」の解説

岩永 省一
イワナガ ショウイチ

明治・大正期の実業家 日本郵船専務。



生年
嘉永5年4月18日(1852年)

没年
大正2(1913)年3月12日

出生地
肥前国大村(長崎県大村市)

旧姓(旧名)
後藤

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
肥前大村藩士・後藤多仲の二男に生まれ、のち岩永勝馬の養子となる。明治元年長崎に出て荘田平五郎に英語を学び、2年上京し慶応義塾に入る。3年大村藩の留学生として渡英、更に5年文部省留学生となり渡米、9年帰国。のち福沢諭吉の推薦で郵便汽船三菱会社入社上海・長崎・神戸の各支店で勤務。18年同社が共同運輸会社との合併で日本郵船と名称変更し横浜支店長、のち本店支配人となり、32年専務に就任。44年病気で退職するまで海事事業に従事した。その後、明治生命保険の重役を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩永省一」の解説

岩永省一 いわなが-しょういち

1852-1913 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)5年4月18日生まれ。慶応義塾にはいり,イギリス,アメリカに留学。帰国後,郵便汽船三菱会社に入社。明治18年同社と共同運輸会社とが合併した日本郵船にうつり,32年専務取締役。大正2年3月12日死去。62歳。肥前長崎出身。本姓は後藤。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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